その時、初めて彼女を見て感じた衝撃は忘れられない。
 だけれどその時のそれは、別に恋心なんかじゃなかった筈だ。
 それは、"非凡"との遭遇に対する興奮か。
 確かに、そういう展開に期待を寄せていた僕に、それは大きかっただろう。
 でも、違う。本質はそんな所には無いと思った。
 僕は澪里さん程に人を見抜く目は無い。
 それでも、僅かながら、その黒髪の少女には僕と似た何かを感じたのだ。
 だから、柄にもない事をしてしまったのかもしれない。

 第二章 虚栄と脆さのメタファー

 僕は少し離れたところから、その人を眺めていた。多分あっちは気づいていない。

 正直、僕は、その人が儚げに空を見上げる様子に見惚れてしまっていた。
 女性をこんなにじっと見つめるなんて、多分今までで初めてではないかと思う。

 そして。

??

はぁ……今だけはエネミーを警戒しなくていいから、落ち着くわね

逸貴

ブッ!!!

 この人の、そんな意味不明な台詞で、つい吹き出してしまった。

??

な、な、なに!?


 驚いて振り向く、その人。裏返る声。合う視線。

??

う……ううぅ……

 なにやら呻きつつ、みるみる赤面していく顔。
 顔が熱い。多分僕も、なんらかの理由で赤面している。
 お互いパーソナルスペースを侵犯しない程度の距離を保っている。
 しかし、こんなシチュエーションで、異性を、2人きりで、こんなにまじまじと視線を交わしていれば致し方ないというものだ。

逸貴

あ、あの……


 なんだか妙に気まずくて、つい声を出してしまう。

??

は、は……はぃ……

 弱弱しい声でどもりながらも、返してくれる。
 いや、しかし困った。続ける言葉が思いつかない。僕はどうしたら良い。

 とりあえず、声を掛けてみるか。

逸貴

こんな所でなにやってるの?

??

え、ええ……えっと……

 狼狽している。僕の所為か?
 誰だってこんな時間に女性が公園で一人つっ立っていたら驚く。
 いかがわしい目的など無くても気になる。

??

あ、ああ……あぁ……


 まさに二の句が継げない状態になっている。

 どうしたものかと内省してみる。

 確かにこの人にとっては、いきなり知らない異性に話しかけられているという状況な訳だ。
 僕だってそんな事があれば狼狽する。

 ああ、間違いなく、僕は不審であり、これは僕のミス以外の何ものでもないだろう。

逸貴

あ、突然ごめん

??

うぅ……


 そんな反応をすると、彼女は走り出して何処かへ消えてしまった。

 仕方がない。正しい反応だった。
 僕は一体、何を期待して、つい声を掛けてしまったのだろう。

 それから、僕は帰宅した。

 彼女が不思議なのは間違いないが、それ以上に何故か親近感が湧いた。

 だから、また会いたいと、そう思って、僕は次の日も公園に行った。
 しかし彼女は居なかった。
 次の日も、次の日も、次の日も。
 次の日も、次の日も、次の日も、次の日も。

 暫くして、僕は彼女と会うのを諦めてしまっていた。
 仕方ない。夜の公園で変わった女の子と会うなんて愉快なイベントは、そうあるものじゃない。

 ……

 おわり

 ……

 違う。

 こうじゃないだろう。
 こんな筋書きでは駄目だ。
 こんなものは望んでいない。
 変える。やり直す。そして最高の状況を目指すんだ。

??

はぁ……今だけはエネミーを警戒しなくていいから、落ち着くわね

逸貴

ブッ!!!

 この人の、そんな意味不明な台詞で、つい吹き出してしまった。

??

な、な、なに!?


 驚いて振り向く、その人。裏返る声。合う視線。

??

う……ううぅ……


 なにやら呻きつつ、みるみる赤面していく顔。
 顔が熱い。多分僕も、なんらかの理由で赤面している。
 お互いパーソナルスペースを侵犯しない程度の距離を保っている。
 しかし、こんなシチュエーションで、異性を、2人きりで、こんなにまじまじと、
 視線を交わしていれば致し方ないというものだ。

逸貴

あ、あの……


 なんだか妙に気まずくて、つい声を出してしまう。

??

は、は……はぃ……

 弱弱しい声でどもりながらも、返してくれる。
 いや、しかし困った。続ける言葉が思いつかない。僕はどうしたら良い。
 そもそも、話を続けるのは適切なのか?
 見なかったフリをして逃げるべきじゃないか?

 ええい! 分からん!

逸貴

分からないよ。"奴ら"は気配遮断領域を張っているかもしれない。念のため感知結界を展開しておくべきだ

……ああもう、僕は何を言ってるんだ!
 つい澪里さんと話すときの様なノリで無意味な妄言を吐いてしまったじゃないか。
 多分、この人がさっきあんな、邪気眼じみた台詞を吐いた所為だ。

 そうは言っても、今の僕のは、初対面の人に言う台詞ではない。もはや僕の思考は乱れ切っている。

??

そ、それもそうね。一応自動迎撃神経は導入しているけど反応速度に限界があるし

……え?

 未だ赤面しながらも、この人はまたも謎設定を語ってくれた。
 え、もしかして、今のって、乗ってくれたのか?
 ならば、もう成るようになってしまえ。

逸貴

じ、自動迎撃か……思考加速系と思考駆動系に無縁な僕には全く遠いスキルだ

??

まあ私は機動性に特化しているから。そういうあなたはどうなの?

”あなた”って、ああ、僕の事か。

 いけない。

 ネタが思いつかない。この子、僕より圧倒的に、設定を練り出すのが速いぞ。

"機動性"と相反する要素と言えば、大抵、高防御か高火力だ。前者はいまいち格好が付かない、よって。

逸貴

僕の術式は一撃の威力に特化しているんだよ。だから、対象に確実に命中するポイントを割り出す為に感知結界を十相張り巡らせてる


 よし。前に語った設定との繋がりを押さえる事で、飛躍した設定を登場させにくくする。完璧だ。

??

十相ね。しかし、私の"フライハイト・レーベン"は、さらにその四相上を行くわ

 クソ! "フライハイト・レーベン"って何だよ!

 僕が甘かった。何故赤面しながらも、そうポンポンと台詞を吐けるのか。
 そもそも"相"とは何を表す数字だ。言ったのは僕だけど。

 兎にも角にも、質問しなければ。

逸貴

"フライハイト・レーベン"……噂には聞いていたが、まさかあの……

 それも、ただ単に聞くのではなく、この子から説明台詞を引きだす感じで。

??

ええ、そうよ。"自由生命"。わたしの最終兵器であり、魔術名でもある

逸貴

兵器だったんだ!


 ついそんな本音を口に出してしまった。
 駄目だ。最早ついていけない。

??

う、うん……

逸貴

そうか……


 僕がこれ以上続けられない所為でまた気まずい空気が戻る。

??

じゃ、じゃあ……


 完全に彼女はこの場を去る方向になっている。
 しかし、この場で初めて会って、よくわからないノリでよくわからない会話を繰り出しただけの僕に、彼女を止める言葉も無い。
 意義もたぶん無い。そうである筈だ。

??

闇の時間は終わり。システムが夜明けを望んでいるから

逸貴

ブッ!

 また吹き出してしまった。
 そんな意味不明な捨て台詞を吐いて彼女は何処かへ消えていった。

 最初から最後まで訳の分からない人だったなあ。
 そして、最初から最後まで顔を赤くしながら話していた。
 きっとあの子は、あまり人と話し慣れていないのだろう。
 たぶん僕もそうだ。人の事なんて言える筈も、まあ、無い。
 

 そういえば、最後まで名前を聞かなかった。
 何という名前なのだろう、あの子は。

 翌日の朝。
 時計を見ると、7時10分だった。
 あれから結局、僕はまっすぐ帰宅した。
 彼女を追いかける理由はもしかするとあったかもしれないが、少なくとも勇気は無かった。
 ともかく今日も学校だ。昨日の事は考えないでおこう。

 ぼーっとしながら歩いていると、いつの間にか校門に到着していた。
 公園は今日も通ったが、これといって何も無かった。

澪里

はろー!

 今日も狙った様に、僕が校門に到着する時間に現れる。

 朝からテンションが高い。なんだこの人は。

逸貴

おはよーございます

 そんなに僕のテンションは上がらないので、いつもの様に軽く会釈する。

 僕は朝に強くない。

 今日も1日何かに苦しめられる為に僕は起床したのだ。

澪里

ああ、本当に、世の中はなんて下らないんだ!

逸貴

え! なんで!


 あまりにも唐突すぎる彼女の笑顔を伴った叫びに驚く。

澪里

いやね、何かシナリオマスターが私に言わせた訳よ。私の意志じゃないって

逸貴

そうですか

 彼女は脈絡の無い台詞を吐いた時に、大抵そう言う。

 澪里さんによれば、この世界は”シナリオマスター”と言う何者かが描いた物語であるらしい。
 人間の境遇が余りにも不平等すぎる原因も、物語としての世界の主人公である人間と、そうでない人間、つまりエキストラに分類されるからだ、と。
 もし本当にこの世界に主人公が居るのなら、それこそ澪里さんみたいな、才能に愛され、世界に愛された人間だろう。

 だが、本人曰く、”私は脇役”らしい。
”私が主人公になると、苦境に陥る事もなければ成長する事も無いから、物語としてつまらない”だとか。
 いや、そんな中学生の妄想みたいな話は置いておいて。
 どうせこの人はその場の思いつきだけで生きているのだから、さっきのもそういう事なのだろう。

 今日もいつも通り授業を乗り切り、オカ研に来ていた。
 眠くてあくびが出る。

澪里

眠そうだね

逸貴

だって眠いし……

澪里

私も眠かったけどね

 僕は授業中に寝ている余裕など無いので、何とか意識を保っている。
 そんな努力をあざ笑うかの様に澪里さんはしょっちゅう、当然の如く睡眠をする。
 それにも関わらずテストでは驚異的な点数を取るのだから、僕って何だろう、とたまに思う。
 いや、たまにどころか、いつも思っている。

澪里

そうそう、それで

逸貴

どうかした?


 澪里さんが何か言いたそうにしていた。

澪里

デデキントの定理

逸貴

……


 駄目だ。ツッコむのも面倒くさい。

澪里

今『ツッコむのも面倒くさい』とか考えたでしょ


 無言で頷く。
 本当によく分かっていらっしゃる。
 露骨にそういう態度を出したつもりは無かったのだが、この人にはバレるものだ。

澪里

私ってツッコみたくない位魅力が無いかな? それともいーちゃんが枯れてるだけ?

逸貴

……?

 何故そうなるのか一瞬分からなかったが、僅かな思考のうちに、何を言わんとしたか理解した。

逸貴

おいやめろっ!


 全く。当然の様な流れで下ネタに繋げるんじゃない。
 しかも自分をネタに言うんだから、本当にこの人はどうしようもない。

澪里

ちなみに私は処女だよ

逸貴

知るか

 だから何だと言うんだ。

……とはいえ、”それは確かなのだろう”とも思った。この人に恋人なんて不要だろうから。

 恋人。
 何故かそのワードから僕が連想したのは、昨日の夜の公園における映像だった。

逸貴

いやいや

澪里

ん? どしたの兄さん


 つい声を出して否定してしまって、澪里さんが反応する。
 結局、あれは誰だったのだろう。

逸貴

澪里さん

澪里

なにか訊きたいのかい少年

逸貴

長い黒髪の、ちょっと変わった、っていうか厨二病な女性を知ってる?


 何となく気になって聞いてみた。

澪里

なるほど。惚れた訳か

逸貴

いやいや!


 なんという飛躍。
 やはりこの人は、他人をイラつかせるのが得意だ。

澪里

ごめんよ。私は知り合いなんて殆ど居ないんだ。攻略するなら一人で頑張ってくれ

逸貴

はぁ。いや、ちょっと気になっただけなんで


 まあ、期待はしてなかったけど。
 というか別に攻略とかしないし。
 そんなのじゃなくて、僕はただ、本当に、ちょっと気になっただけだ。妄言も甚だしい。

澪里

それが恋というものさ

逸貴

と、恋をした事がなさそうな人が仰っています


 適当に茶化しておく。
 そんな事を言われると本当に意識してしまいそうで怖い。
 全く下らない。

澪里

確かにした事無いけどさ。無意味だしね

 マジレスされてしまったが、確かにそうだ。少なくともこの人はそう考えている。

 ふざけているが、どこか超然的で。
 精神が強すぎて、人生の多くの事柄がいかに無意味であるかを悟った上で生きている。
 僕はこの人に、こうであって欲しい。恋をする澪里さんなんて見たくない。
 笑いながら、望んだ事は一人で何でもやり遂げてしまう天才であって欲しい。
 
 彼女に対する僕の憧れは、異性に対するそれではなく、例えるならば信仰に近いものだ。
 彼女こそ、僕、そして公園で逢った女の子とも違う、単なる”変人”なのではない、”真なる非凡”と言える雰囲気を醸し出しているのだ。
 誰の手にも届かなくて当然だ。

澪里

なんだよーこのー! 好きならまた会いに行けばいいじゃん

逸貴

いや、だから好きとかそういうのじゃないって……

澪里

寝言は寝て言えよ♪

逸貴

いや待て! 寝言を言ってるのはあんただよ!


 全く、笑顔でよくそんな台詞を吐くものだ……。
 いやしかし、駄目だ。完全に僕が恋をしている流れになっている。
 やめてくれ。そんな事があるものか。バカバカしい。

 あれから我らがオカ研でグダグダ暇を潰した後、いつものように澪里さんと下校した。
 そして、なんだかんだで結局来てしまったのだ。
 あの子は、探すまでもなく、すぐに見つかった。

??

辛い運命ね


 昨日と同じようなシチュエーションだが、今度は僕に声を掛けてきた。
 相変わらず何を言っているのか分からないので適当に聞いてみる。

逸貴

君は何を背負っている?

??

そうね……不確定性の如き儚さの其れは、言うなれば"未来"かしら

 未来を背負っていると。
 ”分からない未来を背負う運命が辛い”と言いたいのだろうか。
 なんて大仰な物言いだ。思わずニヤけ顔になりそうになる。

 だが、少しだけ真面目に考えてみると、この子の、何らかの訴えであるような気もしてきた。

……いや、止そう。
 会ったばかりの女の子の事なんて、何も分かるまい。
 分かった気になる事こそ、恐ろしいものだ。

 さて、彼女の設定語りでも聞こう。
 実際のところ、いくらかの興味はあるし。

逸貴

君は未来でも視えたりするのか?


 こういう風な質問ならきっと答えやすいだろう。

??

まず私は、普通の人間ではないの


 可愛らしく微笑みながら、ノリノリで真人間じゃない宣言をしている。
 確かに性格的な意味では変わってるとは思うけれど。

??

私は今確かにこの世に存在しているけれど、同時に1つ上の次元に存在している。謂わば"半陽性精霊性"


"謂わば"と言っても、そんな事は謂われないから分からないが。
"ハンヨウセイセイレイセイ"。オカルトでも聞いた事の無い言葉だった。というか書き方すら分からない。

??

1つ上の次元、つまり第四次元。その凡人には到達できない領域に何があるか、想像はつくでしょう?


 想像つかないよ。何か凄いものなんだろう、きっと。

逸貴

まさか……


 とりあえず思わせぶりな事だけ言っておく。

??

『アカシック・レコード』。この世界における過去・現在・未来の万象を記録したデータベース


 アカシック・レコード。
 オカルトの知識が多少ある者ならだれでも知っている。
"データベース"という表現は聞いた事無いが、まあそんなものなのかもしれない。
 そしてアカシック・レコードの情報源には、いくつかのレベルがある。

逸貴

アカシック・レコードか。となると、第何帯層まで?

??

第何帯層……?

逸貴

あ、いや、『シン帯層』とか『エーテル帯層』とか……

??

ん、うーん……


 しまった。
 困らせてしまったみたいだ。
 彼女の言うアカシック・レコードは最上層だけを示すのかもしれないし、単に細かい事は知らないだけかもしれない。

逸貴

ああ、ごめんよ、最初から最上層に到達していた君みたいなタイプは、下層を意識する必要が無いのか


 適当にフォローする。

??

そ、そうね。そんなところ


 ちょっと悪い事をしてしまったな。
……。
 微妙な空気になる。

??

とにかく、私には荷物が多すぎるの

逸貴

"未来"の事か?


 さっきの、"未来"についての物言い。
 これはやはり、この子の何らかの本心を比喩しているようでならない。
 この子……もしかして、"生きるのが辛い"と言いたいのか……?
 いや、飛躍だろうか。

??

未来が視えること。それはすごく重たいの


"未来が視える"なんて事、流石に冗談だろうが、仮に視えるのであれば、確かに重いだろうよ。

??

そこは本当に苦しみばかり。幸せなんて雀の涙程も無い。私たちは苦しみを蓄積するために生きているのかしら


 否定しがたい事だった。
 僕でも感じる事だ。
 記憶を掘り起こしてみれば、確かに"良かったこと"に比べて"悪かったこと"の方が圧倒的に多い。
……だが、本当のところ、どうなのか。

逸貴

そうだな。確かにそうかもしれないけど


 後になって思い出してみれば、嫌な事ばかりだったかもしれないけど。

逸貴

少しの幸せはある筈だ。その時、その状況で、本人は確かに幸せだった筈なんだよ

??

うん……

逸貴

だからさ、未来なんて気にせずに、今を視たほうがずっと良い

??

でも、それは"後先考えない"という事になるわ。それは愚かしい事よ

逸貴

愚者であるほうが幸せなんだよ。そして、愚者である事を誰も罪に問えないよ

??

そう、かな……私が仮にそうであっても許されるのかしら

逸貴

当たり前じゃないか

??

そう……


 なんというか、つい勢いで、僕らしくない事を立て続けに言ってしまった。
 普段ならば、僕の方こそ、この子のような言い草をしそうなものだが。
 彼女と話している僕は、何だかおかしかった。
 それが、どういう感情から引き起こされているのかは分からないけど。

??

そっか……


 この子の、たまに見せる微笑みはとても素敵だと感じている。
……。
 沈黙。だけれど、不思議と、そんなに気まずくなかった。
 そういえば、今の今までこの子の名前を聞いていなかったな。
 会ったばかりの女性に名前を聞く勇気なんて無いんだけれど、不思議と、この子に関しては気が進んだ。

逸貴

そういえばさ、君の名前は? 僕は光野逸貴。光の野に、逸脱の貴び

??

変わった名前ね

??

私は、叶会末那(かなえ・まな)


 かなえ、まな?
 字面が想像できなかった。

逸貴

どういう漢字を書く?

末那

叶える、会う、末那識の末那


 何故だか、それを説明する時の顔が曇っていた。
 自分の名前が好きでないのだろうか。

末那

また変な名前でしょ。末那識。そこから取ったことに、どういう意味が込められているか分かる? "自分に執着しろ"という事よ


 なるほど。
 名前という意味でも、この子は荷物を背負わされている訳か。
 叶会さんの妙に深刻そうな顔を見た後では、茶化すのも憚られた。

逸貴

ああ……

末那

光野くん、もしかして

逸貴

ん?


 いきなりどうしたものか。

末那

桜冠高の生徒?

逸貴

うん


 いや、待てよ、もしかして実は。

逸貴

……同じ高校だったり?

末那

う、うん……


 なんだかちょっと嬉しそうにしているのが可愛かった。

……いや、やめろ! そういう考えは持つべきものじゃない!

末那

2年……α組……


 α組か。ならば2年の今になるまで一度も顔に覚えが無かったのも仕方がない。
 それにしても同じ高校だったか。
 単純に嬉しかったし、なんだか運命的なものも感じてしまった。
 そんなものあるのか知らないけど。

逸貴

そっか……同じ高校だったとは


 そうだ。同じ高校であるならば、叶会さんともっと話す機会も設けられるだろう。
 他のクラスの教室は何となく行きにくい。かといって、彼女と二人で校内の何処かに行くのも、周囲の目が気になる。
 ならば。

逸貴

そうそう、僕オカルト研究会って所に入ってるんだよ

末那

オカルト研究会……?

逸貴

うん。特に何も無い所だけど、きっと落ち着けると思うよ

末那

そうなんだ……

逸貴

良かったら……。大体昼休みとか、授業後には居るからさ


 勧誘だ。
 実際、彼女には友達が普通に居て、僕の知らない所で昼休みや授業後に友達と一緒に過ごしているかもしれない。
 これは僕の希望だ。
 叶会さんに来てほしいという。

末那

わ、分かった……明日、行ってみる


 良かった。
 嬉しさのあまり顔がニヤけてしまう。気持ち悪いと思われたらどうしよう。

末那

じゃ、じゃあ、わ、私そろそろ帰るね……


 もう帰ってしまうのか。
 残念だった。
 いや、大丈夫だ。明日学校で会えばいい。

逸貴

分かったよ

末那

そ、それじゃあ、ばいばい……


 完全に厨二病の演技を忘れ、赤面しつつも微笑して僕に手を振る叶会さんは、とても可愛らしかった。
 こんな感情を抱いたのはきっと初めてだ。
 本当にどうしてしまったものか。
……僕も帰ろう。

 さて。

 帰宅するや否や、僕は思案に耽った。

 一体僕はどうしたというのか。
 僕は他人、あるいは異性に興味を持ち、馴れ馴れしく話しかける様な人間ではない筈だ。
 ましてや"可愛い"と思うなど。
 僕がまともに会話できる異性など、澪里さん位しか居ないのだが、彼女は存在そのものが超越的で例外的だ。
 となれば、叶会さんも例外なのか。
……いや。違う。
 彼女に対する感情はそんなものではない。
 言うなれば"親近感"。
 叶会さんの厨二病的振舞いが演技なのは、直ぐに分かる。
 驚いたり、緊張したりすると簡単に素に戻る様だから。
 超越に対する憧れ。平凡を脱却するという望み。それらが現れたものなのだと僕は勝手に解釈した。
 実際のところ、どうか分からない。
 だが、少なくとも僕の中には"僕と同じ思いを持っていてほしい"という望みがある。
 僕の思い。
 平凡にすらたどり着けないが故の、平凡の嫌悪。
 防御機制による合理化だ。"すっぱい葡萄"の話は非常に有名だろう。
 彼女は、きっと僕と同じだ。
 はっきりとした事は言えないが、欠けたものを忘れるために、仮初の自分で欠損を埋めているのだろう。

 そして、何か。
 僕は、ほんの少しの違和感を受けたのだ。
 取るに足らないものだとは思ったけれども、それでも僕は目を瞑った。
 逆向き瞑想をする。
 塵の如くチラつくおかしさはいくらでもあった。だが、中でも気になるのは、二つ。

 まず一つ目。
 何故叶会さんに言われるまで、"同じ高校だ"と気付かなかった?
 彼女は"制服"を着ていた筈なのに。
"緊張していた"では済まないレベルの見落としである。
 そもそも、だ。
 あの制服は……。

 そして、もう一つ。
 何か、抜けている。
 記憶の地平にぽっかり空いた空洞。欠陥を感じずにはいられない。
 そう。しっくり来ないのだ。
 僕は。
 僕は、何の経験を以って、平凡を嫌悪するようになった?

澪里

つ~づ~く♪

第二章 虚栄と脆さのメタファー

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