午後の授業は皆どこか落ち着かない様子だった。まぁ、当然と言えば当然だろう。昼休み、ここのクラスのとある男子生徒が窓ガラスに手を突っ込むという暴挙にでたのだから、落ち着けるはずもない。

 かくいう私もその一人で、落ち着いていなかった。理由は、別件でだが……。

 私、神薙 佐代子は試行していた。思考もしていた。こちらの席とは反対の列に位置する國澤さんへ視線を飛ばしながら……。

 ここの男子生徒が運ばれた後、抜け殻のように静かになったクラスの中を、私は彼女の元へと歩み寄り、問いを投げたのだ。

神薙 佐代子

國澤さん、一つ質問しても良いですか?

 もちろん、まるで彼女を気遣う優しい女子生徒のように。両肩に手を置き、安心させるかのように誰にも聞こえないよう耳に囁く。

神薙 佐代子

何を知ってるんですか?

國澤 真奈美

…………!!

 びくりと体を反射させ、怯えた表情で私を見た。まるで小動物のようなその怯えっぷりには、口元が歪みそうで仕方なかった。

 それだけを問うと、今日は一緒に帰りましょう、と言い残し床に散らばったガラスの破片を回収するべく、清掃具を取りに行った。

 その後は、床の清掃をして、先生が窓を即席で補強し、すぐに授業が開始され今に至るわけだ。しきりに彼女はこちらへと視線をよこし、その度に私は笑顔で返す。その繰り返しだ。

 彼女はある意味、怯えていて授業に集中できない。無論、こんなことをしてもただ彼女を追い詰めるだけになるのを知っている。じゃあなぜこんなことをするのかと文句の一つもあるだろう。こっちとしても領分はある。理由を一言で述べよ、又は一言でしか述べてはいけないと言われたらこう答えよう。

『浪木 香苗が嫌いだから』

 一概に言ってしまえば、彼女が全ての黒幕であって欲しいこと。浪木 香苗の今までの綺麗な存在を全て否定してやりたい。完璧人間の素性を大っぴらに公開して、その顔に泥を塗りたくってやりたいのだ。

 もし死んでいたとしても、それはそれで良い。問題なのが、ただ彼女がのうのうと生きていて、綺麗で純真なままでいることだ。これだけの労力を費やしておきながら何もないのは許されない。何が何でも見つけてやる。これが、浪木 香苗をこれほどまでに探す理由だ。

 そのためには彼女、國澤を尋問する必要がある。あの人は『何か』知っている。根拠は、私の質問に対する答え。沈黙は金、雄弁は銀と言いますがまったくの皮肉ですね。彼女は沈黙していたが、その表情は真相を語ってるようなものだった。

 まったくの気まぐれでやったのに、まさかこんなチャンスがあるとは……。

神薙 佐代子

あぁ、楽しみですねぇ……

 授業は滞りなく進み、後は帰りのホームルームになった。結局、草ケ部 蒼汰は戻ってこず、左斜め前の席は空白のままだ。担任の南方先生は何事もなかったかのように、今後の学校の予定を語っている。

南方 功

もうすぐ文化祭だが、材料及び予算はくれぐれも使いすぎないように。だからといって、ショボいもん作らねぇようにな

 教卓に置かれたメモを淡々と語っていく南方先生。そんな彼の話を適当に聞き流しながら、私は彼女にどう問い詰めるか考えていた。

 何かを知っている、それだけは私も分かってるが一体何を知っているかが問題だ。もし仮にこの事件の真相だったなら何としても聞きだしたいところだ。

 しかし、彼女もそう易々と情報を渡さないだろう。なら一番手っ取り早いのが彼女の弱みを握ることだ。いや、その必要もないですね……。そもそも、彼女は一か月間クラスメイトに孤立させられていた。

 当然、彼女の精神は脆い。固めた砂糖のように打たれ弱く、熱湯をかけてしまえば簡単に融けてしまう。そんな砂糖のような存在。

 簡単に言ってしまえば、言葉一つで思いのままなのだ。

神薙 佐代子

早く終わらないですかねぇ……

南方 功

んじゃ、説明は以上だ。帰っていいぞ

 その願いが通じたのか、南方先生は帰宅の許可を出した。他の子は早々に席を立つと、競うように教室に出たり、その場に残って雑談をしている生徒がいたり様々だった。國澤さんも荷物を纏めて、席を立っている。この場から逃げたいのか、そそくさと教室を出ようとしているのが分かった。

神薙 佐代子

逃がしませんよ?

 私も荷物を急いでカバンに詰め込んで、彼女の背中を追いかける。さほど距離も開いてないし、ちょっと小走り気味に近づく。次第に距離は縮まっていき、彼女の肩に手を置こうとした時だった。

南方 功

おい神薙、ちょっと来い

 南方先生はこちらへと視線を向けて、私に呼びかける。舌打ちをしたくなるのを抑えながら、平常通りの笑顔で振り向いた。

神薙 佐代子

すみません先生。ちょっと体調が悪いので

 一刻も早く國澤さんを追いかけなくてはいけないのに何でこんな時に……。

友原 和則

あ、おーい國澤! ちょっと用があるんだけど!

神薙 佐代子

…………!!

 ふと先生に気を取られていると、後ろから友原さんが私の横を通り過ぎていった。

神薙 佐代子

なんてタイミングの悪い……

 間の悪さに歯ぎしりしながら、國澤さんに駆け寄る友原さんを見つめることしかできなかった。こんな状況が恨めしく怨めしい……。

南方 功

くだらねぇこと言ってねぇではよ来い

神薙 佐代子

…………

 私は大人しく南方先生の方へと近づく。残った生徒たちからの視線は私に集中し、各々の視線から色々な感情が混ざっているのを感じる。どんなことを思っているのかは知ったことではないが、誰もが私に対する嫌悪感が多いと思う。

 そんな悪意が充満する中、南方先生は平然と言うのだった。

南方 功

ちょっとした荷物運びを頼みてぇんだ。なに、そんなに時間はかからねぇよ

 そう言って南方先生は教卓の中から分厚いプリントの山を上に置いた。ドンッと重低音のような音が耳に響く。

南方 功

コイツを運んだら帰っていいぞ。俺はすぐに会議に行かなくちゃいけないからな

神薙 佐代子

……分かりました

 どの道、このプリントの教科は私が担当する係員の仕事だ。ここは素直に聞いておいた方が良いだろう。

 私は教卓に置かれたプリントの山を持ち上げた。中々の重さだったが持てない程でもない。重心を後ろに来るように、プリントの山を抱える。その時、南方先生は急にこんなことを言いだした。

南方 功

帰り道、気を付けろよ

神薙 佐代子

ありがとうございます

 彼の意図しない発言に困惑したが、表情にそれは出さず礼だけを述べて教室から出て行く。相変わらず静かな空間で、皆が私へと悪意ある視線をぶつけながらも、構わず進む。

神薙 佐代子

余計なことをしてくれましたね……

 教室から出て、荷物を抱えながら私は彼に対する不安や不満を心の中で漏らす。

 人通りがまばらな廊下を一人で渡りながら、職員室に向かう。人もさすがに少ないせいか、聞こえる声も数えれるくらいだ。

神薙 佐代子

今彼女に真相を聞けないのは辛いです……明日と明後日は学校が休み……聞けるとしたら二日後……

 一刻も早く浪木さんの情報を手に入れたいところなのに、どうしてこうもタイミングが悪い……。

 ああ、その精錬で可憐なあの表情を恥辱に変えてやりたい。泣いて泣いて泣いて、全てを乞う彼女が見てみたい。絶望の中、今まで築き上げてきた人格をぶち壊してやりたい。

神薙 佐代子

想像しただけで震えちゃいます

 その時、ふと何気なく見た窓の景色。そこに映っていたのは校門前で話す二人の男女がいた。一見してなんてことのない風景の一部だった。普段の私なら気にせずそのままスル―するのだが、そこに立っている人物を見て思わず立ち止まる。

神薙 佐代子

あれは……まさか……

 私は小走りで職員室にプリントを預けに行く。

 私は急いで脱離を抜け、校門の方へと走りだす。さっき廊下から見たあの光景は私にとってまだ希望のある嬉しい誤算だった。窓に映った二人、一人は友原 和則。そして、もう一人は國澤 真奈美!

 まだ帰っていないようで安心した! まだまだ私は彼女に聞きたいことが山ほどある。さぁさぁさぁ、言ってもらいましょうか。私は真実を聞きたいんです。私を安心させてください! 國澤さん。

 私は沸き上がる興奮を内心に止めながら、二人に気付かれないように身を屈めて、ゆっくりと校門の裏の壁に張り付いて彼らが何を話しているか聞き耳を立てる。

 彼らがどんなことを話しているか、記憶する為に……少しでも搾り取る為に……。

友原 和則

何度も言ってるけど、そんなに怖がる必要なんてないぜ國澤

 優し気な声色で友原さんが彼女に語り掛けた。

國澤 真奈美

でも……

友原 和則

大丈夫、その時は俺がお前を守ってやる。全力でクラスの奴からも守る。大人達からも守る。だから勇気を持ってくれ。小さなものでも良いから!

 何の話をしているか分からないせいか、友原さんの言葉の一言ひとことに吐き気がした。

神薙 佐代子

はやくしなさい……こっちはそんな綺麗事聞きにきたわけじゃないんですよ

 友原さんの言葉を真に受けたのか、彼女はしばらく沈黙する。考えているんだろうが、そんなことはどうでも良い。早く言いなさい。言え。

國澤 真奈美

分かったわ……

 ようやく彼女は折れたようだ。スッと向こうから息を深く吸った音が聞こえる。いよいよだ。どんな情報を漏らしてくれるのか楽しみで、胸の動悸が速くなっていくのを感じた。

國澤 真奈美

浪木さんがいなくなったのは―――

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