私は奴隷だ。
過去もいまもずっと奴隷。
物心ついた時にはすでに私は奴隷だった。
小さな村の大地主の下品なほどに大きな館。
そこで使用人の駒としてこき使われる奴隷。
どんな貧しい家に生まれたのかは分からないが、
私は生後間もなく捨てられた。
拾ってくださったのがこの館の主様だ。
主様は私に衣食住を与えてくださったが、
代わりに自由を奪った。
赤ん坊の頃に捨てられた身なのだから、
生まれながらにして死んでいるのと同じ――
そう考えれば自由がないのは当然のことなのだけれど……。
しかし、私はいつだって自由を求めていた。
ひとりで敷地から出ることを許されておらず、
お姉さまたちの付き添いとして外出する際以外には、
外を出歩くことができない。
お姉さまたちに自由はあっても、奴隷の私にはそれがなかった。
お姉さまというのはこの館の正式な使用人たちのことで、5人もいるのだけれど、みんな例外なく私に厳しい。
私が奴隷だからなのか、ただ嫌われているだけなのか……。
そのお姉さまたちの付き添いで外へ出る時には、
たいてい荷物持ちや雑用を任されていたが、
私は外を歩けるだけで心躍る思いだった。
お姉さまたちから離れるわけにはいかないので、
自由に村の中を歩けるわけではない。
それでも、お店に並ぶ服や装飾品を見ることはできた。
いつかはお姉さまたちみたいに着飾ったりして、
村の外に出てみたい――
隣の大きな国に行ってみたい――
いろいろなところに行ってみたい――
実現できるか分からないことを幾度となく想像した。
自由になれたら……と。
奴隷でなくなったなら……と。










ため息が漏れてしまった。

リビュ

気をつけなくちゃ……。

お姉さまたちの前でため息をついてしまったなら、問答無用で引っ叩かれる。
今はまだ早朝。お姉さまたちは起きていない。
主様もきっとまだお休みだろう。
この館には主である独り身の老婆と女の使用人が5人と、私が住んでいる。
私はその中でも誰よりも早起きをしている。
もうしばらくの後には、朝を告げるラッパの音が村内に響き渡る。
そうしたらお姉さまたちが起きてしまう。
それと同時に、私のささやかな自由時間も終わりを迎える。
私が早起きをする理由は、早朝の誰も起きていない時間に、
こうやって裏庭を散歩するためだ。
夏の朝は涼しくて気持ちが良い。
草木が風に揺れる音や、小鳥のさえずりに耳をすませ、
ひとりのんびりと白み始める空を眺める。
みんなが起きてしまってからでは、こんなことはできない。
裏庭の隅っこには小さな納屋がある。
そこは物置であり、私の部屋でもある。
3~4歳の頃からこの納屋で生活させられているから、
もう10年くらい物置暮らしをしていることになる。
掃除道具や武具や農具などが並ぶ納屋の片隅に、
ボロボロのベッドを置いただけの簡素で薄暗い部屋。
お姉さまたちには、それぞれの個室が館内に用意されているのだが、
拾われた身の私はここで十分ということらしい。
住むところがあるだけでありがたいので、不満を言ったことはないけれど、
冬の雪の降るような寒い夜には館に入れて欲しいと思ったりした。

リビュ

あ……。犬さんに餌をあげないと。

敷地をぐるりと囲う高い石塀。
その裏庭側には、
小さな通用口がひとつ設けられている。
そこには毎朝きまって野良犬が一匹やってくるのだ。
痩せこけたオスの老犬だけど、
愛嬌があって可愛らしい。
今日も私はその子に、昨晩に少しだけ残しておいたパンをあげにいく。

リビュ

犬さん。お待たせ。

通用口にたどり着き、
格子扉の先に視線を向けるが――

リビュ

……あれ?

いつもなら、扉の前で大人しく座って待ってくれているのに……。
敷地から出るわけにはいかないので、扉の鉄格子の間から外へ手を差し出してパンをあげていた――
だけど今日はそれができない。

リビュ

どこにいますか?

鉄格子に顔を押し付けるようにして、前の通りの様子をうかがう。
すると、すぐ近くの石塀の脇に布を被った大きな“物”が落ちていて、
それに寄り添う犬が一匹。

リビュ

あ、いたんですね。よかったぁ。……え?

不意に私は違和感を覚えた。
ただの“物”だと思っていた物が、ぴくりと動いた気がしたのだ。
よく見れば人の形をしているように見える。

リビュ

あ……。あの……。

そのタイミングで、今度はもぞもぞと大きく動いた。ゆっくりとぎこちない動作。
やっぱり人だ。
布を被っているせいで、こちらからでは顔もなにも見えないが、人であることに間違いはないと思った。

リビュ

だ、大丈夫ですか?

恐る恐る声を掛けたが、その人はなにも答えない。
私の声は震えていて、か細いものになってしまったが、距離は遠くない。
きっと聞こえているはず。
早朝だけでなく、一日を通して人がほとんど通らない細い裏通り。
館の向かい側には森が広がっていて、こんなところに座り込んでいるなんて明らかにおかしい。
怪我をしているのだろうか。それとも体調が悪いのだろうか。
このまま放っておいたらまずい気がする……。

リビュ

主様を呼んでこようか……。でも……。

それはできない。
お姉さまたちが起きるまでは館に入れないし、
大声なんか出して主様を起こしたら、
ただでは済まない。

リビュ

どうしよう……。

ちょっとだけなら、ほんの数歩なら外に出ても……。
そう思うが、私は格子扉の鍵をなかなか開けられずにいた。
朝を告げるラッパが吹かれるまで、もう少しだけ余裕ありそうだ。
しかし、それは私の推測でしかない。
正確にあとどれくらい時間があるのか分からないことが、急に不安になってきた。
隣の大国では振り子という正確な時間を刻む
“時計”というものが開発されたらしく、
ちゃんとした時間がいつでも分かるように、定期的に時計台の鐘の音が街に響くらしい。
けど、この小さな村にはそんなものはない。
朝になったら鳴くニワトリのように、あいまいに吹かれるラッパ。
もしかしたら今日はたまたま早めに吹き鳴らされるかもしれない。
踏ん切りをつけられず、悩んで動けなくなる自分に苛立ちを覚えそうになる。
そんな時、犬が小さく吠えた。
微動だにせず、じっとこちらを見つめている。

リビュ

あ……。
お腹が空いたの? パンはありますよ?

手を外へ突き出し、パンをちらつかせる。
けれど、彼はなにかを訴えるような眼差しを向けてくるだけで、そこからまったく動こうとはしない。

リビュ

……この人を助けてほしいんですか?

頼られている――
犬の言葉が分かるわけではないが、そう言っている気がしてならなかった。

リビュ

私は……。

私はどうしたいのか――
単純に、この人を助けたい。
敷地外に出るのはいけないことだけれど、それよりも今のこの状況を無視してやり過ごすことのほうが、もっといけないことのような気がした。

リビュ

……すぐ行きますね。

犬の視線に後押しされ、私は格子扉に設けられた鉄製の小さなかんぬき錠に手を掛けた。
鍵というにはあまりに粗末な造りだが、錆びついたそれはなかなか開かない。

リビュ

……んっ!

つまみを強く握り、力を込めて横へ引っ張る。
すると錆びが剥がれ落ち、鍵が開いた。
ノブの無い扉は、それによって支えを失い、
だらしなく外へ開け放たれる。
音が鳴らなかったのをこれ幸いと、
私はコソコソと外へ足を踏み出した。
ひとりで敷地外へ出たことに感慨を感じる間もなく、
私は座り込んでいる人のもとへと駆け寄った。
そして――

リビュ

……。

私は言葉を失った。
なぜなら、それは人ではなかったから――



























金属片を組み合わせて作ったような、
人間に似せた“なにか”がそこには座っていた。

リビュ

大きなお人形さん……?

さっき動いたように見えたのは風で布がはためいたからだろうか。
そう思った矢先、頭がゆっくりと動いた。
人間と同じような動作でこちらを向く。
私は、正面からその顔を見据えた。

リビュ

……。

悲しそうな表情をしている――
継ぎ目やネジによって形成された模様。それらから受ける印象なのか、そんなことを思った。
不思議なことに、私は怖いとは感じていなかった。

リビュ

えっと……。あなたは……。
人間ではないですよね?

私の問いかけに、その人形は黙ったままだった。

リビュ

もしかして、そういう鎧を装着しているだけで、人間なのですか?

その可能性はある。隣の大国では私なんかの知らない新しい武器や防具が開発されていると聞く。
よく見る銀色の大きな甲冑ではなくて、こういったスリムな甲冑もあるのかもしれない。
そう思ったが、羽織っている布の隙間からチラチラと見える足首や手が、どう考えても人間のそれの太さでないことに気付いた。
動く人形。そういう物を大国は開発したのかもしれない。

リビュ

人形……さん?
ということでいいのでしょうか……。

相変わらず黙ったままの人形。喋ることができないのだろうか。
そうなると、もう私にはどうしたらいいのか分からなかった。
怪我をしている人なのかと思って来てみたものの、血のような滲みは見当たらない。そもそも血を流さないのかもしれない。
それに、あまり苦しそうにも見えない。ただじっとそこに座って、こちらに顔を向けているだけ。
人間でいうところの目の位置に楕円形のガラスがはめ込まれている。
それがこの人形の目なのかもしれない。
じっとそこを見つめていると、唐突に人形が声を発した。

人形

ボクヲ、カクマッテクレ。

聞いたことのない不思議な響きのする声だった。
一音一音を無理やり繋ぎ合わせて発しているような、ぎこちない、まるで造られた声。
鎧のせいで声がくぐもっているだけ……ではなさそうだ。

リビュ

かくまうって、私があなたを……ですか?

人形――彼は首を縦に振った。

リビュ

そう言われましても……。

主様に相談してみようと思ったところで、以前に似たようなことがあったのを思い出した。
去年の冬のこと――
物乞いの老人がこの館の表門の前で倒れていた。
お姉さまたちがそれに気付き、主様に知らせた。
すると主様は、無慈悲にもその老人に桶いっぱいの水を浴びせて無理やり起こし、ケダモノでも追い払うかのように立ち去らせた。

リビュ

……無理です。申し訳ありません。
なんとかして差し上げたいのですが……。

人形

頼ム。ボクハ、追ワレテイルンダ。

リビュ

追われている?

私は身構えてしまった。もしかしたら危険な人――犯罪者なのかもしれない。

リビュ

あ……悪事を働いたのですか?

私の不安が伝わったのか、彼は首を横に振って言った。

人形

キミニ、危害ヲ加エルヨウナ真似ハ、シナイ。
悪イコトモ、シテイナイ。

リビュ

では、どうして追われているのですか?

人形

ソレハ……ボクガ逃ゲダシタカラ……。
長イアイダ、捕ワレテイタ。
ケレド、ヤット逃ゲダセタ

リビュ

……。

捕らわれていたという言葉に私は胸が締め付けられる思いだった。
きっとそれは私が使用人とは名ばかりの奴隷だから。ここからひとりで出ることすら許されていない自分と似ているから。
この人形は敵国に捕らわれていたのかもしれない。
もう一度捕まってしまうことを考えると心が痛む。

リビュ

深い事情は分かりませんが……。

言いかけて口ごもる。
もしもこの人形をかくまって、主様に見つかりでもしたら……。
その先を考えると恐ろしい。

リビュ

えっと……。あの……。

人形

……。

人形は私の次の言葉を待つように、じっとこちらを見つめて待っていた。
造り物の顔に表情はないはずなのに、寂しそう――
出会った時と同じで、彼の感情を見た気がした。

リビュ

裏庭の隅に私の住んでいる納屋があります……。そこなら……。

言ってしまったことを後悔したが、そこから出なければ見つかることは絶対にないという確信もあった。
主様もお姉さまたちも納屋どころか、裏庭にすら滅多に来ない。

リビュ

大丈夫……。

人形

ツマリ、ボクヲ、カクマッテクレル……?

リビュ

……はい。

きっと、こうやってこの不思議な人形と出会ったのは、私にとってなにか意味があること。
運命めいたものかもしれない。
私はそっと人形に手を差し出した。

人形

アリガトウ。

リビュ

……どういたしまして。

小さくうなずくと彼は私の手に自分の手を添えて、ゆっくりと立ち上がった。






ひんやりと冷たく、かたい鉄の指先。
よく見ると、その手は細い鉄の棒が複雑に組み合わさって構成されており、とてもではないが生身の人間の手が中に入っているということはなさそうだった。

人形

コノ恩ハ、カナラズ返ス。

私を見下ろす人形。座っていて気付かなかったが、かなり背が高い。私より頭1~2個分くらい高そうだ。

リビュ

そんなことは気にしなくていいので、とにかく見つからないようにしてくださいね。

人形

分カッテイル。

そうして私は人形を敷地内に招き入れた。
犬にパンをあげて、通用口を施錠する。
人形は金属でできているにも関わらず、所作のひとつひとつが繊細で静かだった。
足音も立てず、スムーズに歩く――
が、もう少しで私の住む納屋だというところで急に立ち止まってしまった。

リビュ

どうかなさいましたか?

人形

スマナイ……。水ヲ、クレナイカ?

リビュ

お水ですか? その前に隠れないと……。

さすがにそろそろ朝の合図が吹き鳴らされる頃。こんなところに突っ立っていては目立ってしまう。

人形

説明スルノハ、難シイノダガ……。
動力……。人間デイウトコロノ、体力ヲ水カラ得テイル。

リビュ

もしかして、体力がなくなってしまったのですか?

人形

アト僅カシカ、残ッテイナイ。ソレガ無クナルト全ク動ケナクナル。

聞きたいことは山ほどあったが、こんな状況だ。急いで水を取りにいくに越したことはないだろう。

リビュ

すぐ戻るから。

駆け足で井戸に向かい、水を汲み――
桶を人形の前に置き――
納屋から陶器のコップを持ってくると、それに水を入れた。

人形

アリガトウ……。

人形は私の手からコップを受け取ると、人間と同じように口から水を飲みはじめた。
そして、あっという間に飲み終えた。

人形

モウ、大丈夫。アトハ隠レテカラ、イタダコウ。

片手でひょいっと桶を摘み上げる。きっと力持ちなのだろう。

リビュ

じゃ、じゃあ、とりあえず納屋に……。

足早に納屋へ向かい、扉を開ける。
すると、私の焦りを察してくれたのか、彼はすんなりと中へ入ってくれた。
ちょうどその時――
村に朝を告げるラッパの音が響き渡った。

リビュ

はぁ……。ギリギリだったのね……。

人形

迷惑ヲカケテ、スマナイ。ボクハ――

リビュ

あ……。ごめんなさい。人形さん。

なにか説明しようとしてくれたのかもしれないが、それを聞くのは夜になってから。

リビュ

私はもう行かなくてはなりませんので……。

お姉さまたちが館の玄関を開ける前に、そこに待機しておかなければならない。

人形

スマナイ。キミガ帰ッテクルマデ、ココデ静カニシテオク……。

その言葉に私が大きくうなずくと、彼は私を見送るように手を振ってくれた。

人形

イッテラッシャイ。

リビュ

ぁ……。いってきます。

頬が緩んでしまった。こんな感覚は初めてだ。
だれかに見送りをされる――
たったそれだけのことなのに、心の奥がこんなにあたたかくなるんだ……。
そうして、私はいつもと全く違う気分で納屋の扉を閉めた。
陰鬱だった私の朝に、ささいな変化が訪れた……。






いつもとなにも変わらない館での仕事。
掃除をして給仕をして、また掃除をして――
その繰り返し。
休憩なんてものはない。朝から晩まで続く。
昼過ぎのことだった――






館の主

リビュレス!
リビュレスはどこにいるの!

主様の怒声が館の中にこだまし、私は広間へと急いだ。
リビュレスというのは私の名前で、大抵こうやって乱暴に呼びつけられる。
広間へとたどり着くと、絨毯に割れたお皿が散らばっていた。
載っていたであろうお菓子も潰れてしまっている。

リビュ

す、すぐにお片付けいたします。

さっそく掃除用具を取りに走ろうとしたが――

使用人A

待ちなさい。

お姉さまたちに止められた。

使用人B

まずは主様に謝りなさいな。

リビュ

……え?

どうして私が? 私はなにも粗相をしていないはずだ。
この割れたお皿だって、本当はここにいるお姉さまたちが片づけるべき……。

館の主

リビュレス。なんだい? その不満そうな面構えは。

リビュ

あ……。その……。

館の主

いい加減に学びなさいな。この館ではどんなことが起きても、全部お前が悪いんだ。全部ね。

リビュ

それは……。

そのようなことは今までに何度も言われてきた。それがこの館のルールだとまで言われた。
しかし、私はそれを決して認めたくはなかった。

館の主

ほら。お皿が割れたわよ? まずはどうするのか、分かってるわね?

主様は皺だらけの顔をいやらしく歪ませて、床を指差す。

リビュ

……。

床にひざまずけという意味なのは分かっている。けど……。

館の主

ほらっ! 早くなさいなッ!

主様の声と同時、私の膝裏がお姉さまに蹴られた。
それによって私は、半ば倒れるようにして床に這いつくばった。

館の主

それでいいんだ。リビュレス、お前の目の前にはなにがある?

リビュ

……潰れたケーキが……あります。

館の主

ほら。床がケーキのクリームで汚れてしまっておる。お掃除しておくれ?

しゃがれ声で言う主様。周りからはクスクスとお姉さまたちの笑い声が聞こえてくる。

リビュ

……。

もうこうなってしまっては、私は抵抗できない。
ここで主様の求めていることをしなかったら、問答無用で後頭部にお姉さまの足が押し付けられる。

リビュ

失礼……いたします……。

私は絨毯にこびりついた泥まじりのクリームに、舌を伸ばした。

館の主

どうだい? リビュレスはケーキなんて食べたことなかったわねぇ?

お皿の破片で怪我をしないように気を付けながら、ケーキの残骸を舌にのせる。
手を使うと怒られることは分かっている。
舌だけを使って……。まるで犬のように……。

館の主

ほれほれ。そこにもクリームがついておるぞ。

主様の指差す先は、お姉さまの靴だった。
それに呼応するようにお姉さまがしゃがみ込み、靴を脱いだ。
そして靴底にクリームをつけ、こちらに差し出してくる。

使用人A

踏んでしまったみたいね。綺麗にしてくれるかしら?

リビュ

……かしこまりました。

ペロペロと丁寧に靴底からクリームを舐めとっていく。

館の主

美味しいかい? こんなに美味しいものは滅多に食べれないかい?

リビュ

……はい。

館の主

ヒヒヒッ……。いい気分だねぇ? お前たちもそう思うだろう?

この老婆はこうやって私をいたぶることで快感を得ているらしい。
そして周りに立つお姉さまたちも楽しそうに私を見下している。

館の主

リビュレスもよかったわねぇ……。みんなの役に立てて。

リビュ

はい……。ありがとうございます……。

ありがとうございます――
反射的に出てしまうその言葉。
染みついてしまっている奴隷精神。
それでも――
こんなみじめな扱いを受け入れて
しまっていることが――
泥混じりのケーキでも美味しいと
感じてしまうことが――
悔しかった。

館の主

リビュレス……。これからも私に尽くせ。

リビュ

はい……。









陽が沈み、主様が部屋に戻られた後、私は館を出た。
主様は高齢ということもあり、かなり早い時間にお休みになられる。
それは私にとってはありがたいことだった。
主様の就寝時間が長ければ長いほど、私の自由時間が増える。
調理場の火を使って灯したロウソクを片手に、もう片方の手にパンとスープの入ったコップを握りしめ、納屋へと向かう。
時折、ロウが流れ落ちて指先に触れそうになる。
スープはすっかり冷めてしまっていたけれど、いまは夏だから別に構わなかった。








納屋の扉を開けると、奥から声がした――

人形

オカエリナサイ。

リビュ

……え?

昼の出来事のせいで彼の存在をすっかり忘れてしまっていた。
けれど、こうやって声を掛けてもらうと、朝の見送りの際に感じた嬉しさを思い出す。

リビュ

た……ただいま……。

扉横の大きなロウソクに火を灯すと、手に持ったロウソクの火を消す。
ロウソクは滅多に支給されないので、節約することが重要。
この備え付けの大きなロウソクも、お姉さまたちが捨ててしまったロウソクの残りを集めて溶かして作ったものだ。

リビュ

あ、あの……聞きたいことがあります……。たくさん……。

扉を閉め、あらためて人形と向かい合う。
彼は納屋の隅っこの地面に腰を下ろし、こちらを見ている。
ロウソクの明かりに浮かび上がるその姿は不気味の一言に尽きた。

人形

ソノ前ニ、食事ヲトッタラドウダイ? オナカが空イテイルダロウ?

リビュ

あ……はい。

彼の言う通り、私のお腹はペコペコだった。
ベッドに座り、パンをちぎる。

リビュ

あなたも食べますか?

人形に向かって差し出したが、それは断られた。

人形

ボクハ、水ダケアレバ動イテイラレル。気遣イダケモラッテ、オクヨ。

こんな作り物の声でも、語尾になにか付くだけで印象が全然違う。
今も“ヨ”がついただけで、すごく優しい響きに聞こえた。

リビュ

では、お言葉に甘えさせていただきます。

ちぎったパンをスープにつけて食べる。
美味しいとは思わないが、食べておかないと明日の仕事がつらくなる。
犬にあげる分のパンを残し、私は食事を終えた。

リビュ

そういえば、お水はまだ残っていますか?

人形

大丈夫ダ。明日ノ朝にモウ一度、桶一杯ニ、モラエルカイ?

リビュ

はい……。
あ、申し遅れました。
私はリビュレス・ミレジィと申します。

人形

リビュレス……。
美シイ人魚ノヨウナ響キダ。

私が捨てられた時に添えられていた紙に書かれていた名前。
それについて今まで特に気にしたことはなかったけれど、こんな風に言われると恥ずかしい。

人形

リビュ、ト呼ンデイイカイ?

リビュ

……はいっ。

嬉しさが溢れてしまったかのように、語気が強くなってしまった。思わず顔を逸らす。

人形

ボクノコトハ、ポリー、ト呼ンデクレナイカ?

リビュ

ポリー? さん?

ポリー

ポリーダケデ構ワナイヨ。愛称ミタイナモノダカラ。

リビュ

はい。……なんだか、朝とは印象が違いますね。

ポリー

印象?

リビュ

なんだか話し方が柔らかくなったといいますか……。

それを聞いてポリーは納得したようにうなずいた。

ポリー

アノ時ハ、動力ヲ節約シテイテ、気ガ回ラナカッタンダ。

リビュ

……そういうことだったんですね。

人形なのに、気が回らないというのは不思議だったけれど、彼がそう言うのだからそうなのだろう。

ポリー

朝ハ、間抜ケナトコロヲ、見セテシマッタ。

リビュ

え?

ポリー

アンナトコロデ、棒立チニナッテ止マッテシマッテ……。少シダケナラ歩ケルト思ッタンダガ……。

リビュ

……ふふっ。

思い出したらなんだか可笑しくなってしまった――が、

リビュ

あっ。申し訳ありません。笑うなんて失礼でした……。

すぐに謝った。声を出して笑うなんてことを自分がするとは思わなかった。

ポリー

イヤ。イインダ。笑ッテクレ。

リビュ

いえ……。私が誰かを笑うなんて、身の程をわきまえて――

最後まで言い終わる前に、ポリーが手で制した。

ポリー

キミハ自由ニ笑ウコトスラ、許サレテ、イナイノカイ?

リビュ

……。

ポリー

……。

気まずい沈黙が私たちの間を支配する。
外では夏虫たちが夜の宴と言わんばかりにリンリンと鳴いている。
薄暗い部屋にロウソクの火がひとつ。ゆらゆらと揺れるそれを見つめる。
周りでは小さな蛾が数匹飛んでいた。
やがて、口を開いたのはポリーのほうだった。

ポリー

ボクハ、人間ではナイ。

リビュ

……え?

いきなりなにを言うのかと思い、その顔をまじまじと見つめてしまう。

ポリー

人間ではナイモノニ、身ノ程ヲ、ワキマエタリシナクテイイ。

リビュ

えっと……。よく分かりません……。

ポリー

ツマリ、僕ニ対シテ卑屈ニナッタリシナクテイイ、トイウコト、ダヨ。

リビュ

卑屈……。私は卑屈? ですか?

ポリー

スマナイガ、ソウイウ印象ヲ受ケタ。
ケレド、キミガ使用人デアルナラ、主人ニ対シテソウアルベキダシ、仕方ノナイコトダ。
デモ、ボクハキミノ主人デハナイ。普通ニ振ル舞ッテクレ。

私は、誰よりも下の立場で、身の程をわきまえるべき人間。
お姉さまたちのように自由になりたいという願望もあるけれど、それは幻想だとも分かっている。
だけど、ポリーの前だけ自由でいいと言うのなら、それは……。

リビュ

ポリー。お願いがあります。

ポリー

ナンダイ?

リビュ

あなたが人間であろうが、人形であろうが、私は気にしません。
だから……もうしばらくここにいてもらえませんか?

今日の朝、見送ってもらった時、心があたたかくなった。
疲れて帰ってきたはずなのに、彼が迎えてくれて、疲れを忘れてしまった。
もう少しの間だけでもいいから、この時間を過ごしていたかった。

ポリー

……。

ポリーはうなずいてくれなかった。不安になって催促するようにたずねてしまう。

リビュ

ダメ……でしょうか?

ポリー

ダメデハ、ナイ。ムシロ、ボクモココニイラレタラ、有難イ。

リビュ

でしたら――

ポリー

ダガ、キミハ、ボクガ犯罪者カモシレナイ、トハ思ワナイノカイ?
恐ロシイコトヲ、スルカモシレナイ、ト疑ワナイノカイ?

リビュ

だって、今朝……。悪いことはしていないとおっしゃっていました。

ポリー

……分カッタ。ソンナ目デ見ナイデクレナイカ。

リビュ

そんな目? ですか?

ポリー

ケガレヲ知ラナイ、純粋ナ眼差シ。

リビュ

……。

ポリー

キミハ、ソレヲ大切ニシテオクレ。

私はなんて答えたらいいのか分からず、ただ曖昧にうなずくことしかできなかった。

ポリー

サテ、明日モ仕事ナンダロウ? 寝ルカイ?

リビュ

あ……。もう少し……。

ポリー

ウン?

こんなお願いをしてもいいのか、迷ってしまう。

ポリー

遠慮ナンカ、イラナイ。言ッテゴラン。

リビュ

あの……。
もう少しお話しがしたい……です。

ポリー

ソウダネ。セッカクダカラ、ソウシヨウ。

それを聞いた途端、私は自分の顔がぱぁっと明るくなるのが分かった。

リビュ

で、では……。この村の外のことを教えてくれませんか?

ポリー

ココノ外?

リビュ

ポリーは村の外から来たのでしょう?

ポリー

アア……。「シーユァヴェンタドール王国」カラ来タ。

シーユァヴェンタドール王国――
それはこの“リポポマス村”の隣にある大国だ。
そこでは、この村にはないものがたくさんあると聞いている。
時計というものから、こんな動く人形まで……。
どんな街並みをしているのか、どんな人たちがいるのか、想像すらできない。
私からしたら、夢の国だ。

ポリー

王国ノ、ナニヲ話セバ、イインダイ?

リビュ

えっと……。

私は眠気が訪れるまでポリーに王国の話をしてもらった。
明日は近くの森にある綺麗な泉の話をしてもらうことまで約束して、私は眠りについた。
ポリーにベッドをすすめたが、それは丁重に断られた。
彼は床で、私はベッドで。
一緒に寝ているという感覚はあまりなかったけれど、いつも就寝前に感じていた寂しさは全く感じなかった。











朝――
ポリーに見送られて私は納屋を出た。
これからつらい仕事が待っているとしても、ポリーのことを考えれば耐えられる気がした。
昨日のような仕打ちを主様たちから受けても、ずっと彼のことを考えていよう――
そう心に決めて、私は館の玄関へと向かった。








いつも通りの仕事。
いつも通りの仕打ち。
今日もいつも通りだった。
しかし、陰鬱な気持ちにはならなかった。
心に“誰か”がいるというのは、こんなにも頼もしいことなのだと初めて知った。
いつも通りの一日だったけれど、いつも通りではなかった。
やがて夜になり、仕事を終えた私は足早に納屋へと戻った。








ポリー

オカエリナサイ。リビュ。

リビュ

ただいま。

ポリーのそばに座り、私は夕食を食べはじめる。
すると、ポリーも水を飲みはじめた。

リビュ

ポリーは、水以外は一切口に入れることができないのですか?

ポリー

ソウ聞イテイル。

リビュ

聞いている?

ポリー

ボクヲ開発シタ研究者ガ、イテ……。ソノ人カラ、ソウ説明サレテイル。

リビュ

そうなんですね。

ポリー

食事ニ、コダワリヲモッタコトハ、ナイカラ、便利ナ身体ダト思ッテイル、ヨ。

たしかに今の時代、なかなか食べ物は手に入らない。こうやって老犬にあげるパンを残しておくのも贅沢なこと。
私は主様のおかげでこうやって食にありつけているけれど、そうでなかったらきっと飢え死にしている。
そういう点では便利かもしれない。

ポリー

ソンナコトヨリモ、モット聞キタイコトガ、アルンダロウ?

リビュ

あ! そうでした。

ポリーは昨日の約束を覚えていてくれたみたいだ。
私は嬉しくなって、残りのスープを一気に飲み干して、さっそく質問した。

リビュ

近くの森にある綺麗な泉というのは、どんなところなのですか?

ポリー

泉ノ底マデ見エルクライニ、水ガ透キ通ッテイテ、キラキラト輝ク綺麗ナ泉ダヨ。
岸辺ニハ花ガタクサン咲イテイル。ソコニハ鳥ヤ蝶々ガ集マッテキテ……。

ポリーの話す泉の情景を頭に思い浮かべると、思わずため息が漏れてしまう。

リビュ

素敵なところですね……。

ポリー

泉ニハ、魚モ、タクサン泳イデイテ、ソノ優雅サトイッタラ、一緒ニ泳ギタクナルクライダ。

リビュ

お魚さん……。

魚がどうやって泳ぐのかを私は見たことがない。
それをポリーに話すと、彼は驚いた。

リビュ

調理場で料理されるお魚さんしか……。

ポリー

ソウカ……。

ポリーは魚の泳ぐ姿を、身振り手振りを交えて教えてくれた。
そして、空に飛ぶ鳥たちや、森に住む動物たち――
私の知らない色々な動物や植物の生態について話してくれた。
鳥がリスを捕まえて食べる様子を聞いた時には顔を覆ってしまった。

リビュ

行ってみたいな……。

つい口からそんな言葉が出てしまった。
いつか自由になれたら行きたいけれど――

リビュ

私にはもったいない場所ですね。

ポリー

……。

じっと私を見つめてくるポリー。なにを考えているのだろうか……。

リビュ

あ……あの。ポリー?

ポリー

……コンナコトヲ聞イテ、イイノカ分カラナインダガ、キミハコノ村カラ出タコトガ、ナイノカ?

リビュ

……。

ポリー

イヤ……。スマナイ。不躾ナコトヲ聞イテシマッタ。キミガ、ボクノコトヲ詮索シナイヨウニ、ボクモ、キミニ対シテ、ソウアルベキダトハ分カッテイルンダガ……。

ポリーは申し訳なさそうに頭を下げた。

リビュ

……謝らないでください。ポリーが察した通りです。私は……村から出たことはありません……。この館すら、ひとりで出ることは禁じられております。

ポリー

コノ館スラ……。

ポリーは拳をきつく握りしめていた。そこからは、かすかに金属が軋むような音がした。

ポリー

ボクが……コンナ立場デ、ナカッタラ……。

リビュ

立場……ですか?

ポリー

隠レナイト、イケナイヨウナ立場デナカッタラ……。逃亡中デナカッタナラ、キミヲ……。

造られたような声、その声色に変化はない。けれど、本当に悔しそうに聞こえた。

リビュ

ポリー。どうかお気になさらないでください……。

彼の拳にそっと手を重ねる。

リビュ

あなたが身を隠すことになったから――
そのおかげで、私はあなたと出会えたんです。この出会いだけでも、私にとっては十分な贅沢です。

ポリー

……リビュ。

リビュ

は……はい……。

ポリー

言イ方ハ、悪イカモシレナイケレド、キミが世間ヲ知ラナクテ……ヨカッタ。

リビュ

え?

ポリー

リビュが、ボクヲ見テモ、アマリ驚カズニ、スンナリ受ケ入レテクレタノハ、キット王国ナラ、コレクライノモノヲ造ッテイテモ、オカシクナイ――ソウ思ッタカラデハ、ナイノカイ?

まったくその通りだ。王国なら動く人形を造ってしまいそうだと思った。人間がこういう鎧を装備しているのかとも思ったけれど。

ポリー

ダケド、世間ハ違ウンダ。

リビュ

違う?

ポリー

ボクミタイナノハ、ボクだけダ。

リビュ

つまり……動く人形さんは、ポリーだけ?

ポリーはうなずき、続きを話しはじめる。

ポリー

本当ハ怖ガルハズナンダヨ。コンナ怪人ノヨウナものガ現レタラ。

リビュ

……。

それを聞くと、私は胸の奥が痛んだ。
こんなに優しいのに、怖がられるなんて……。

ポリー

ダカラ、キミと出会ウコトがデキテ、本当ニヨカッタ。

出会えてよかった――そんな言葉、私なんかにはもったいない。
だけど、この上なく胸が高鳴ってしまう。
嬉しいと、素直に喜びたくなってしまった。

ポリー

シーユァヴェンタドール王国デ造ラレタ唯一の存在。ソレナノニ、ボクハ逃ゲ出シテシマッタ。

リビュ

だから、追われている?

ポリー

王国ニトッテ、ボクノ存在ハ機密事項ダカラ。

捕らわれていたと言っていたのは、王国に管理されていたという意味だったんだ……。

ポリー

……堅苦シイ話ハ、ココマデニ、シテオコウカ。

ぽんと膝を叩いて、ポリーは立ち上がった。

リビュ

ポリー?

ポリー

夜デモ外ニ出ルノハ、マズイカナ?

リビュ

この周辺なら館の窓からも見えないし、大丈夫ですが……。

意図が分からず、首を傾げてしまう。

ポリー

リビュ。セッカクダシ、夜ノ散歩デモシナイカ?

リビュ

……はいっ。

外へ駆け出したくなる気持ちを抑えて、私は立ち上がった。











夏の夜、満天の星空。
涼しい夜風に虫たちの声。
私たちは空を見上げながら、
静かな散歩を楽しんだ。






それから数日が過ぎた。
昼はいつも通りに館で仕事をこなし、
夜になるとポリーと談笑して、
少しだけ散歩をする――
――そんな“幸せ”のある毎日を過ごしていた。
けれど――
やはりというべきか、
それは、私なんかには贅沢な時間だった……。
すぐさま、災厄がひとつふたつと、
私たちに訪れた――











pagetop