しんしんと雪が降っている。
 マフラーにダウンジャケット。温かい恰好をしてきているというのに冷える。寒い。

 夕暮れ時となり、合掌造りの民家は青白い光を放ち、窓からは温かい光が漏れていた。
 だが、海神龍至は後悔していた。
 あまりに寒い。

エドウィン

素晴らしい……! こんな景観は、生まれて初めて見ました。

龍至

まあ、喜ぶだろうな、とは思ったよ。

 海神龍至は、連れを見やった。エドウィン・コートダイク。

 彼がコートを着ているのを初めて見た気がする。
 その中は相変わらずのスーツ姿なのだが。

龍至

日本の原風景っていうかさ。ガイジンみんな大喜びするもんな。

エドウィン

ええ。まるで絵画のような風景です。

エドウィン

しかも、あのように雪がたくさん積もっても、家が重さで潰れることはないのでしょう? 
冬は暖かく、夏は涼しい。非常に機能的な住宅でもあるのなのだと聞きました。

龍至

らしいな。

 正直言って、龍至の胸にはさしたる感慨はわいてこなかった。
 ただ、寒かった。

 親戚の知り合いの友人の──説明するのも面倒なほどの間柄の相手がこの集落に住んでいて。彼にナイトワンズ退治の話が回ってきたのだった。

龍至

……そいつ、20年も前にこの村を出て行ったんだってさ。

エドウィン

それが、死人になって戻ってくる、と。

 成り行きで駆り出されたエドウィンは、寒さも感じないのか。ただこの村の風景を楽しんでいるようだった。
 雪が、雪が、と逐一騒ぎ、傍らの木々に積もった雪に素手で触れている。

エドウィン

冷たいです。

龍至

当たり前だよ。

エドウィン

……でも、帰ってこようとする“彼”の気持ちは分かるような気がしますよ。

龍至

どうして?

エドウィン

だって、素敵な故郷ではないですか。ここは

 予言の夢によれば、現れるのはライカンスロープだ。
 20年前に、この村を捨てて出て行った青年。それが異形の者となってこの村に戻ってくるのだという。目的は分からない。

 彼に残っているのは何某かの執念だけなのだ。

龍至

村には結界が貼られてるんだと。

エドウィン

どこの国でも同じですね。

龍至

何が?

エドウィン

僕の国でもそうですよ。大陸ほど顕著じゃありませんけどね。
村や街を囲って外界の良からぬものから自分たちを守ろうとする。

 寒さの中、日が暮れていく。
 二人はただ、待っている。


 “それ”が戻ってくるのを。

龍至

結界の中は安全だってか?

エドウィン

ええ。──決して、そんなことは無いというのに。

 ──影だ。

 闇の中にあって、さらに黒きもの。
 しかし雪の明るさが、その姿を浮かび上がらせるのだ。

 空気を切る奇妙な音。
 いびつな人影は、こちらを見た。
 肩や胸のあたりに鏡のような円形のものがあって、微かな雪明りを反射する。

龍至

レンズ……?

 大きなカメラのレンズだ。それが人の身体に無数に埋まっている。
 レンズはまるで眼の虹彩のように、動き回ってようやく二人の異邦人をその視界に捉えた。

 パッと二人が跳び退き、割れた空間に光が差した。

龍至

カメラマンの成れの果てか!

エドウィン

でも、光線を飛ばすのは無しでしょう。ああ、僕には無理なタイプだ。

龍至

──寒いし、一気にいくぜ!

 “彼”の肩の盛り上がったところから差した光は、雪を溶かし僅かに残っていた草を焼いた。 

 龍至が直線的に動くと、エドウィンは悪びれた様子も見せずに背後に回った。友人を追いかけるように、そっとその背中に手を触れる。魔力を強化したのだ。

 走り込んだ龍至の拳が、ぱきぱきと細やかな音を立てて鱗を生やしていく。だが、彼はその変化が終わるまで待たなかった。
 緩慢な動きで振り向こうとする、カメラ──マンのレンズに。
 胸にはまった大きなレンズに、龍至の拳がめり込んだ。

 
 
 よろめくように背後に下がる。
 カメラのレンズが、ぎょろりと龍至を見る。さらに小さなレンズは助けを求めるかのように回りを映した。

龍至

悪いな

 龍至は、だが躊躇することはない。

龍至

お前は、この村にはもう戻れないんだ。

 彼の拳が、胸の上にあったレンズを叩き割った。
 砕け散るガラス。身体を二つに割られたナイトワンズの姿が、雪の白にくっきりと浮かび上がる。

 その亡骸は、やがて古ぼけたカメラへと姿を変えていった。



 今どき誰も使わない、フィルムの一眼レフへと。




















 囲炉裏のそばでいただく夕食は、山菜と上品な焼き魚料理だ。
 お膳に並べられた皿に豆腐や里芋の煮物なども並んでいる。例のごとく、エドウィンはそれを見て喜んでいる。

エドウィン

温かみがあっていいですね。

龍至

まあな。でも寒いよ。

 先ほどまで傍らに置いてあった、あの一眼レフは宿主が引き取っていった。

 もう米寿を迎えたという彼は、カメラを見て言葉を失った。そしてぽつりぽつりと話してくれたのだ。そのカメラは自分が持っていたもので、一人息子にやったものだと。
 街はずれに落ちていた、とエドウィンが言葉を濁せば、彼は寂しそうに微笑んだ。

 息子の顔をずっと見ていないが、もしかしたら、故郷が見たくなってここに帰ってきたのかもしれないですね、と。

 二人は何も言葉を返さなかった。
 言ってやれることが無かったからだ。

 食事を終え、部屋に戻ってみると。
 
 真ん中にはこたつが鎮座していた。宿泊施設にあるのは珍しいな、と龍至は思ったが、案の定、エドウィンは感激している。

 確かに。英国貴族である彼がこたつで暖を取る機会はめったにないだろう。
 温かいとか。心が、魂が温まるとか何か語っている連れをよそに、龍至はテーブルの上の籠に手を伸ばした。
 
 そこには、みかんが積んであった。

龍至

故郷って、そんなに恋しいもんかな

 手に小さなみかんが馴染む。
 その感触に、先ほど寂しそうに笑って辞した宿主の横顔を思い出す。

龍至

おれにも実家はあるけどさ。もう親は居ねえし、帰りたいって気にはならねえけどな

エドウィン

そうですね。もしかしたら他人にしか、その良さが分からないのかもしれません

 エドウィンは静かに応えた。

龍至

どういう意味?

エドウィン

この村は僕の目にはすばらしいところに思えますが、彼にとってはただのつまらない田舎だったのかもしれません

龍至

なるほどね

 龍至の脳裏に、幼いときの光景がよぎった。

 森と海に囲まれた街だった。高い建物は何もなくて、少し坂道を登れば海を見下ろすことができた。

 微笑む母親の後ろに見える森の緑と空の蒼。
 それらは全てまとまった一つのイメージとして、彼の心のなかにある。

 




エドウィン

場所もそうだし、人も恋しくなるのかもしれませんね

 そんな龍至の心を呼んだかのようにエドウィンが言った。

エドウィン

僕にも故郷はありますよ。シャーウッドの森ってご存知でしょ? ロビン・フッドの。
あの近くに先祖代々の土地がありましてね。今、母と弟がそこに住んでいます。

龍至

へー、弟がいるんだ

エドウィン

ええ。家族は皆ソウルレスですけどね

エドウィン

母とは十年ぐらい口をきいていないんです。……ほら、僕こんなじゃないですか。
小さな頃から、あの人は僕のことを怖がっていたらしい。
でも、弟のことは可愛がっていたから。今、一緒に暮らせて、ちょうど良いのではないかと思います。

 人が恋しい、か。
 龍至はようやく手元にみかんに手を付けた。ヘタの脇に親指の爪を差し入れて皮を剥いていく。
 そう言うのならエドウィンも。その田舎に残した家族が恋しいのだろうか。

 ふと、龍至は尋ねる。

龍至

たまに帰ったりすんの?

 エドウィンは何か答えようとして、口ごもり。そして苦笑いをしながら首を横に振った。

エドウィン

あそこには僕の居場所がないので。

 ふうん。
 答えて、龍至は剥き終わったみかんの一房をぱくりと一口で食べた。

龍至

……。

 視線に気付いて、手元を見る。

龍至

みかん、食わねえの?

エドウィン

そうやって食べるのですか?

龍至

あ、食べ方、知らねえのか。

 気付いて、龍至はカゴからみかんを一つ手に取った。
 エドウィンにみかんの底の少し凹んだ部分を見せて、そこを人差し指でトントンとやる。

龍至

シロウトはここから剥くんだが、おれは違う。

 みかんをひっくり返して、ヘタの脇に親指の爪を差し入れる。先ほどと同じだ。ヘタの側からむいて、白いスジをざっと取り去る。
 自分でやってみろ、とエドウィンにみかんを渡す。

エドウィン

こっちからむく……

 エドウィンは物珍しいものを触るように、みかんを手に取る。言われたとおりにヘタの側からみかんをむいてみる。

エドウィン

反対側の方がむきやすい気がしますけど

龍至

分かってねえな。ヘタの側からむいた方が、スジが上手くとれるんだよ

エドウィン

ああー、なるほど。合理的ですね

 感心した様子でエドウィンはうなづくと、みかんと皮を外した。次に白いスジに取りかかる。


 龍至は思った。

 きっとエドウィンは白いスジを残らず取ってから食べるタイプだ、と。

エドウィン

なかなか手間がかかりますね

 思った通りだった。

 全てのスジを取ってから、ようやくエドウィンはみかんの一房を口にした。

エドウィン

ん、甘い

 龍至は思わず、笑ってしまった。

エドウィン

なんですか?

龍至

いいや。これが正しい日本の冬の過ごし方だな、と思って

 そうなんですか、とエドウィン。
 何となく、二人は吹き出すように笑いだした。

 くすくすと笑えば、足がぶつかった。また、おかしくて笑いだす。

エドウィン

みかんって美味しいですね

龍至

そうさ、こたつにはみかんだよ

 (おわり)

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