蓼科 新介

やぁ、瞳ちゃん、久しぶりだね?

紅原 瞳

久しぶりって、先週お会いしたじゃないですかぁ。

次の日、というよりあの男に襲われ、そして金髪緋眼の少年に救われたという嫌に刺激的な夜が明けた日。私は立花研究所の客室でソファに座っていた。

向かい合って話しているのはこの研究所の所長で、私の参加している《自由七科》の責任者でもある蓼科先生である。

科学者というと気難しいイメージがあった私にとって蓼科先生の人柄というのはあまり科学者じみていないような気がした。

まぁ、あくまで人柄というだけで、見た目は髪はあっちこっちにはねているし、無精ひげも伸び放題だし、ネクタイはゆるゆるで、白衣はくたびれている。

頭はいいのだし、結構軽いノリで話してくるのだけれど、あまり社会に適合的ではないのかもしれない。

さすがに本人の前でそんなことは言わないけれど。

蓼科 新介

今日も検査と問診だからそんなに時間はとらないと思うよ。

紅原 瞳

あの、還元能力ってどれくらいで発現するものなのでしょうか?

蓼科 新介

うーん、うちでやっている実験っていうのは基本的に前例がないことだからねぇ?
正直どれくらいっていうのを伝えるっていうのは難しいと思うよ?

紅原 瞳

そうですか……。

蓼科 新介

どうしたんだい?
僕はてっきり、瞳ちゃんは能力自体よりも報酬のほうに魅力を感じてこの被験者を受けているのかと思っていたのだけどね?

蓼科先生は見透かしたように言う。
いや、実際見透かされていたのだろうけど。
確かに最初は、というか今日の2:00まではそう思っていたのだが、今は少し状況が変わった。
状況の見方が変わったのだ。

紅原 瞳

いえ、その……。能力を持っている人に襲われかけてしまって。

蓼科 新介

…………なるほどね。Multi Elementを悪用する人間が出てこないはずがないとは思っていたけれど。改めてそう言われると少なからず気が重くなるよ。瞳ちゃんはもっと怖かったと思うけど。

紅原 瞳

その時は、他の人が助けてくれたのでなんとか難は逃れたのですが……。もし助けがなかった時には自分でしか自分を守れませんから。

蓼科 新介

助け……?
へぇ。今の時代にも人助けをしようなんていう輩がいるんだねぇ?

紅原 瞳

蓼科先生って結構悲観的なタイプだったりします?助けてくれる人がいないとまでは私は言いませんよ。

蓼科 新介

こういう業界に長くいるとね、人間のいやな部分というのを見る羽目になるんだよ。
ちなみに襲われたときには還元能力は使おうとしたのかい?

紅原 瞳

いえ。使おうとしたときに助けが来たので。
使い方は一応伝えられていますけど、実際に使ったことがないと、どうもいざという時に使えない気がしたんです。

蓼科 新介

ああ、それで発現のことを聞いたのかい?
確かに、自然発現するまでは実用実験はしないと伝えたからね。
じゃあ正直なことを話そうか?

紅原 瞳

正直なこと?

蓼科 新介

さっきも言ったように自然に発現するのがいつ、という答えには返答できないのだけれど、瞳ちゃんが持っている《自由七科》に処置したプログラム、《ロジカ》は他の被験者に比べて進行が遅いかもしれないね。

蓼科先生はソファを指でトントンと叩きながら話を続ける。

蓼科 新介

あまり他の被験者の人のことを話してはいけないのだけれど、事情が事情だからここだけの話をするよ?
瞳ちゃん以外の被験者6人は実用実験に入りつつある。中にはMEで生成した小さな鉄片ぐらいなら還元できるようになった人もいる。

《自由七科》には私以外にも6人の被験者が参加している。そして、それぞれが微妙に異なったプログラムを施されているのだという。
そしてそれらのプログラムは本来のリベラルアーツの学問の名前を冠している。

文法学(Grammar)から《グラン》、
修辞学(Rhetoric)から《レト》、
算数学(Arithmetic)から《アリス》、
幾何学(Geometry)から《ジオ》、
音楽学(Music)から《ミュー》、
天文学(Astronomy)から《アストル》、

そして私が処置されたのは論理学(Logic)からとった《ロジカ》というプログラムである。
詳しいことは分からないが、効果は同じであるとはいえそのプロセスが異なるのだそうだ。

紅原 瞳

それは、その……私の処置されたプログラムは不良品ということなのでしょうか?

蓼科 新介

いや、その表現はあまり正確ではないかな。
むしろ他の6人より成功していると言えるのかな。他のプログラムよりもより精密に成長しているというか。

紅原 瞳

はぁ……。

正直なところ、よく分からなかった。
精密に成長している、というのはどういうことなのだろうか。

蓼科 新介

まぁ、あまり深く説明しても分からないだろうからここら辺でやめておくよ?
でも少なくとも進行はしているということだけは保証させてもらうよ?
瞳ちゃんたちのおかげでMEがきちんと制御されたものになるような技術を作っていけそうだよ。僕の感謝なんていらないだろうけど、一応伝えておくよ?

紅原 瞳

いえ、そんなに大したことは。
じゃあ気長に待ちます。とりあえずは守ってくれる彼氏でも探しますかねぇ。

蓼科 新介

なんだい、瞳ちゃん。誰かいい人でもいるのかい?

紅原 瞳

蓼科先生、そんなこと言うとセクハラで訴えられちゃいますよ?

蓼科 新介

おっと。それは困るな。

紅原 瞳

冗談ですよ。じゃあ失礼しますね。

蓼科 新介

ああ。何かあったらまた研究所に連絡してくれていいからね?

私はソファを立ち、軽く会釈をすると、検査と問診のために客室を後にしようとドアノブに手をかける。
しかし、ふと思い出して、振り返る。

蓼科 新介

どうしたんだい?

紅原 瞳

あの、大した意味はないんですけど。
吸血鬼っていると思いますか?

蓼科 新介

吸血鬼かい?
もちろん血を吸う生き物は存在するけどね?
でも吸血鬼はフィクションの中の存在だとは思うね?
残忍な凶悪犯を吸血鬼と呼ぶこともあるだろうけどね?

紅原 瞳

そうですよね。変なこときいてすいません。
じゃあ今度こそ、失礼します。

本当に大した意味はなかった。
ただ、昨日の少年。
金髪緋眼の、犬歯のとがった少年。

あれは……吸血鬼なのではないか。

確かに吸血鬼というのはフィクションの産物なのかもしれない。だが、あの少年を的確に表現とするならやはり、「吸血鬼」だった。

もし、あの時あのまま吸血されていたならば、私はどうなっていたのだろうか。

思いにふけりながら廊下を歩いていた私は何かに、いや、誰かにぶつかった。

紅原 瞳

す、すいません、私ぼーっとしてて……。

両沢 泪

あ、ああ、こちらこそ申し訳ないです!
急いでいたもので……。

おどおどした様子で返答したのは、女の子かと見間違うような可愛らしい見た目の少年であった。

そして、その少年には見覚えがあった。
《自由七科》の被験者が集まったときに彼を見たのだ。
――確か名前は両沢 泪(モロサワ ルイ)。
処置されたプログラムの名前は《レト》だったと思う。

かと言って話したことはない。
実験の被験者が集まったのは最初に処置を受けたときだけだったし、基本的に被験者同士は干渉しないのが普通だったのだ。

しかし、私はまだこの時予想もしていなかった。
彼が後に悲劇を迎えるということを。

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