5.ブラックジョーク
    プレディクション

 














 






その結果をダブルクリックすると、ワードオフィスが開いて白黒の画面が液晶を埋めた。









 

もし誰かが見てしまったときのためなのか、それともただ几帳面なだけなのか。


あるいはその両方か。


最初のページには、妄想日記の注意書きなるものが記されていた。

妄想日記:注意書き


1、妄想日記は一ページにつき一日分の内容を書き、可能な限りそれを続けている。


2、初日だけはすべてが実話である。決して妄想内容が思いつかなかったわけではない。


3、妄想日記の内容はほとんどが架空のものであり、登場人物も実在はしない。


4、作者である私は決して痛い子というわけではない。最重要項目。


澄人

ふむ、とても個性がにじみ出ている注意書きだなあ。特に四つ目が。

笑みは漏らさず、真剣な眼差しで一ページ目に目を通した澄人。



初が緊張した様子でちらちらと彼の顔を窺っているが、声をかければむしろ取り乱してしまいそうなので、澄人は敢えて気にしない。












が、彼は早くも心に動揺を覗かせていた。





 

澄人

〝初日〟って……初ちゃんは、BJNの登録とともにこの日記をスタートさせたのかっ?

できるだけ驚愕を表に出さぬよう心がけてはいるものの、眉間にしわが寄ってしまうのだけは避けられない。










初日――つまり唯一の実話には、初がBJNに登録したことや、その日に一美男子の設定を作り上げたことなどが記載されていたのだ。










架空少年の名前はいまだ決まっていないらしい。


ただ、非常に初好みな男子を作り上げることができたらしく、初日だというのに青天井のテンションをひた走っていた。

澄人

……。

刹那の間、澄人は画面をスクロールすることに逡巡を覚えてしまう。


立ち込めている濃霧の前に、進む足が怯えてしまうのだ。










が、躊躇いを振り払って指を動作。


先の履歴検索と同様、とりあえずは上から下までを見流していく。










間もなく、彼の動きがとまった。










 

澄人

この日は、俺のアカウントが無断で作られていたときと同時期だな……。

それは初日の日記から十数ページほど行ったところ。


今からちょうど半年前の内容である。


そこには初がBJNのタイムラインに美男子の設定を投稿したという報告がなされており、さらには、〝その投稿がなぜだかすぐに消されてしまった〟とあった。

ここまで目を通した限りでも、妄想日記の内容はとても濃密で、具体的で、さらにつけ加えるのならとても変態的だ。


なにせ例の美男子とは最初から知り合っているわけではなく、まずはストーキングという行動に始まる。


様々な女子の内面を見てきた澄人でさえ、乙女は内心でこのような犯行に及んでいるのかと末恐ろしくなるほどだ。





とはいえ、妄想かそうでないかは案外見分けがつく。


妄想日記というだけあって、文面は初にとって都合のよい事象が多いのだ。


逆に言えば、BJN関連での感情の浮き沈みはかなり変則的で違和感があるので、それが事実だと認識できる。

あ、あの、なにか問題でもありましたか? なんだか、険しい表情を――

澄人

ん? ああ、いや、なんでもないよ。ちょっと気になることが書いてあっただけさ。後で二、三の質問をするかもしれないけれど、いいよね? 恥ずかしいかな?

あ、はい! 答えます! なんでも答えます! なんなら、スリーサイズとかでも、その……。

澄人

ふふ。いいの、俺に教えちゃって?

もちろんです!上から87、62、88です!

澄人

本当に? スタイルいいなあ。今度、一緒に君の服でも買いに行こうか。

いっ、行きます! 絶対に行きます!

話題転換はお手のもの。



澄人がにっこりして目を合わせながら言うと、初は嬉しさに背筋すら伸ばしてはしゃぎ出した。










一人妄想の世界へと旅立っていく彼女に目を細めながら、澄人はスクロールを再開。



新たな日記の群れを流し読みで対処しながら、

澄人

投稿がすぐに消されてしまった、か……履歴検索の中に、そんなことはあっただろうか?

澄人の記憶では、百件余りの中に初がタイムライン投稿をしたという行為履歴はいくつかあった。


だがそこに美男子の設定があったかというと定かでなく、澄人の脳内検索に該当するものもない。


ここでもう一度USBを繋げてみればたしかめることはできるだろうが、さすがに本人の前で怪しい挙動に出るのは憚られる。







と。





道徳心と自己利益に挟まれて葛藤している間に、画面右のスクロールバーは下方まで来てしまう。


初日がBJN登録だったためか、日記はストーリー仕立てとなっており、初が美男子にBJNをきっかけとして知り合い、次第に仲よくなっていくというものであった。


想像力のほとばしりが著しいのか、この先一か月のことまで記されている。


もはや日記ですらない。










仕方なく、澄人は画面を上に動かしていく。


一か月先の妄想未来から、徐々に日をさかのぼらせていくのだ。


目的はもちろん、なにか見落としがないかどうかを丹念に調べるためである。






そして、あるところで澄人が目を剥いた。




 

澄人

なぜ俺はこれを見逃していたんだっ?

数分前の自分を恨み、マウスのポインタを、文章をなぞるように上下させていく。










なんのことはない。










それは、本日のことであった。










 

内容は――初と例の美男子の交友関係が深まり、はじめて彼を自分の家へ招くというもの。


彼は紅茶が好物らしく、初はそれを耳にしてうきうきとティーポットを用意。


そしてケーキとともにそれをお盆へ乗せ、彼女のベッドでくつろいでいるらしき少年の元へ向かうのだそうだ。


彼女にとっての王子様はその日、初をデートに誘ってくれたり、淡く優しげな言葉を耳元にてささやくのだという。


さらにつけ足せば、この日に急激な進展があるわけではないようだ。

澄人

現実は――。

視線をあちこちへ泳がせる。


焦点が合ってくるのは、初、そして彼女が持ってきてくれたお盆、その上に乗るティーポットとカップ、茶請けとして準備されたショートケーキ、さらには彼女のベッドに腰かける己の体。










澄人は、瞬く間に全身が湿り気を帯びていくのを感じ取った。


毛穴から噴き出してくる自分の汗だ。


初日の記事を見た先ほどの驚愕が一発の弾丸なら、こちらは段々と全身を蝕んでいく毒ガスのよう。

澄人

は、初ちゃん……この妄想日記を最後に書いたのは、いつのこと?

最後の記入ですか? たしか、一週間くらい前だったと思いますけど……。

澄人

一週間!? 一週間以上も前に、彼女はこの状況を予測していたっていうのか……?

七日前といえば、まだ澄人は灰塚 初という女子に出会ってもいない。


彼女のことを調べ始めて、科人と二人でああだこうだと論議していた頃のはずだ。


そもそも最新の記事と言えば今日から数えて一か月先の状況を記しているので、順当に考えるのなら一か月と一週間以上も前に本日分の日記を書いたということになる。


未来予知でもできなければ、このような詳細を現実に照らし合わせることは不可能だろう。











あるいは、
本当に予言を載せた日記なのか。










  

澄人

いいや……さすがにそれはないだろうな。

微かに首を振る。
 

ページを見返したが、今日以外の内容はどれも妄想足り得るものだ。


初と少年が出会うのも二か月ほど前であり、遭遇したシチュエーションも先日とはまったく異なっている。










危うく、非現実的な泥沼の中に埋没して脱出できなくなるところであった。










文書を閉じ、現実に戻ってくる。


が、落ちないペンキのごとく胸の奥へこびりついた怖気は、どうやっても拭うことができない。


だから、澄人はその薄気味悪いペンキを塗料以外のなにかだと認識することに決めた。

澄人

冗談。そう、冗談だ。この手のユーモアは、科人で散々慣れっこじゃないか……。

す、澄人さん? どうかしたんですか?

澄人

あ……ああ、ごめんね。ちょっと目の眩みがあって。大したことはないから、気にしないでいいよ。それより、この日記にイケメン君の設定をBJNのタイムラインに上げたって書いてあったんだけど、それって今もあるかな?

あー、あれですか。かなり前に作った設定なので……ちょっと待ってくださいね。

ゆっくりと冷ましながら飲んでいた紅茶のティーカップを置き、初は澄人に背を向ける。

どこだったっけ……?

若干の焦りを語調ににじませながら、机の引き出しや本棚にあるファイルの中、さらにはノート類の内部まで捜索していく。


澄人と一緒にPCのデータを漁ったりもしたが、発見といえば初の血相が悪くなっていくことくらいで……。










数分後。










カーペットの上に頭を擦りつける少女が、澄人の眼前にいた。

すみません澄人さん! 次に会うときまでに探しておきますので!

澄人

いやいや、土下座までしなくてもいいって。なんだか俺が悪いことしてるみたいだ。

そうですね! なんだか澄人さんに悪いことされているみたいで、とても嬉しくなってきますっ。

澄人

はは、とんだ変態だね。嫌いじゃないよ、そういうの。

澄人

しかし、設定が紛失かあ。できれば今見ておきたいけれど、なければ仕方がない。

誰が初の投稿を通報したのか知らないが、その履歴を強制削除できるのは他でもない運営側、おそらく管理人の科人だろう。


もしかすると、既にオフラインでも彼女の所業に妨害工作を打っているかもしれない。


科人もなんだかんだで、澄人との生活を続けたいと思っているはずなのだ。


それを知っている澄人には、科人が邪魔する心境を計れないでもない。











だから澄人は、恐れおののいた。









 











自らの想いが、
初へと傾いていっていることに。









 

5.ブラックジョーク・プレディクション

facebook twitter
pagetop