コーディリアは舞台裏で人形のように固まっていた。
椅子に座ったままの状態だが、突けば真横に倒れるんじゃないだろうか。
アシスタントは着替えやメイクはやり易かったが、主役がこれで大丈夫なのかと不安を覚える。
準備ができたと聞いて様子を見に来たケントとホレイショーも、彼女の顔色の悪さに心配する程だ。
コーディリアは舞台裏で人形のように固まっていた。
椅子に座ったままの状態だが、突けば真横に倒れるんじゃないだろうか。
アシスタントは着替えやメイクはやり易かったが、主役がこれで大丈夫なのかと不安を覚える。
準備ができたと聞いて様子を見に来たケントとホレイショーも、彼女の顔色の悪さに心配する程だ。
この間の大根役者の二の舞にならんだろうなぁ
ケントが叩かれた前回の舞台の話だ。
コーディリア
ケントに呼び掛けられてコーディリアはぎこちなく顔を上げる。
緊張でどうにかなってしまいそうだ。
……
ケントはカタカタと小さく震えているコーディリアの肩をそっと抱きしめた。
そして耳元でそっと囁く。
君なら大丈夫だよ
ふわりとしたあたたかなものが身体を包み込んだ気がした。
不思議なことに彼女の震えは止まり、血の気も戻ってきた。
それはまるで魔法でも掛けたられようだった。
ケントさん……
行っておいで
ケントの言葉に力強く頷いてコーディリアは舞台の方へ向かった。
事の成り行きを見守っていたホレイショーが呟く。
キスのひとつでもしてやるのかと思ったが
するわけないだろう。お前じゃあるまいし
オレはとっくに手を出したもんだと思ってたけど
出すわけないだろう!
大事な役者だ。誰にも傷つけさせるものか
いつもはホレイショーの軽口をかわすようになった彼だが、急に熱くなって怒りながらコーディリアの背を追った。
そんなケントの様子に訳知り顔でホレイショーは独り言ちる。
オフィーリアが嫉妬するのも頷けるな
満員とはいかないがそれなりに埋まった客席からは未だ動揺したざわめきがやまない。
女の役者をはじめて目にする者ばかりなのだろう。
眩しいくらいのスポットライトを浴びながら、コーディリア扮するティンクチャーが嬉々とし堂々と言い放つ。
ゴールドトレジャリーは、
独り身で、バカで、デブで、スケベで、欲張りだから、
死んだ方が世のためになるわ!
瞬間、客がワッと湧くのが舞台袖から見えるかのようにわかる。
思わずホレイショーも声に出して笑ってしまう。
ひでぇ女ー
掴みは上々だ。
うん、やっぱり肝が据わってる
大歓声とやまない拍手の中、コーディリアの初舞台の幕は下りた。
観客のことは、上演中は必死だったため気にしていられなかったが、出演者が整列して挨拶する時になってはじめて、表情まではっきりみえてしまい、コーディリアはまた固まることになった。
終演後、座長のケントは慌しく、よくやったなの一言を頂いただけで、コーディリアだけなぜか先に帰らされてしまった。
極度の緊張と興奮からか舞台を下りた後から頭も体もずっとふわふわしていて、ホレイショーにケント邸まで送ってもらい、ベッドに入ってすぐに眠りに落ちた。
そういえば昨晩はあまり眠れなかったんだとコーディリアは夢の中で思った。
翌朝、幾つもの新聞を手にホレイショーが劇団『振動する槍』の稽古場を訪ねる。
やったな、ケント!
どこの新聞も大絶賛だぞ!
当然稽古場も盛り上がっていることだろうと思いきや、何やら空気が重い。
どうしたんだ?
ケントもコーディリアも他の団員も揃っているのにどうしてこんなに静かなのだろうか。
自分だけ違う世界の住人のようだとさえ誤解しそうになる程空気が違う。
わ、わたし、あそこで転んじゃって……
コーディリアが唇を噛み締めながら悔しそうに言う。
昨日の公演で、確かに彼女は自分の衣装の裾を踏んで転んだ。もちろん転ぶ場面など台本にはない。
いいんだよ、あそこは!
元々客を笑わせるシーンなんだから
ホレイショーがカラカラと笑いながら言うが、ケントにはじろりと睨まれ、他の団員にはしーっと人差し指を立てられる始末。
反省すべき点はそこだけか?
いいえ!
海岸の場面では台詞を飛ばしたし、白状するとこの台詞はもっと恐怖心を籠めなければいけなかった
そうだ。他にも細かい仕草が甘い!
はい!
そんな彼らの様子を見て、ホレイショーは場にそぐわない自分はお邪魔だなと思ってそそくさと退散した。
昼間から酒でも飲みに行こうと思っていることだろう。
珍しい女の俳優が好演したという新聞の評価と口コミにより、女優を一度観てみたいというのも合わせ、席の売れ行きは好調だった。千秋楽までほぼほぼ満席となることだろう。
そして、コーディリアの初舞台の成功の裏では、たくさんの想いが交錯していた。
『劇団「振動する槍」女優で大成功』と大きく記載された新聞をぐしゃっと握りつぶす細い手。
あの子は一体なんですの?
ケント様を手助けするのはわたくしの役目ですのに
オフィーリアは憤慨していた。
憎々しげにでかでかと掲載されたコーディリアの写真に爪を立てる。
女優なんて必要ないわ
ハムレットは真っ暗な場所にいた。
コーディリア、必ずオレが連れ戻してやるからな
彼もまた、コーディリアの初舞台の成功を喜んでいない。
必ず……!
一枚の紙を手になにごとか画策しているようだ。
また、別のところでもコーディリアに強い関心を示す者がいた。
女優かぁ、興味深いな。
明日の舞台の席取れるか?
はい
舞台衣装に負けないくらい絢爛たる服を着たその者が尋ねると、傍に控えていた者がすんなりと答える。
なかなか手に入りにくいはずだろうが、すんなりとだ。
うん、可愛らしい娘だな
彼は新聞のコーディリアの写真を光にかざした。
様々な想いを背景に、今日も舞台の幕が上がる。
今日もしっかりな、コーディリア
はい!
ケントさん!