ルナは腰をかけていたベッドから、ゆっくりと立ち上がった。
机に伏して眠っているライトを起こさないように、物音を立てず。
……
ルナは腰をかけていたベッドから、ゆっくりと立ち上がった。
机に伏して眠っているライトを起こさないように、物音を立てず。
部屋に備え付けられている小さな丸窓から、外の景色が見える。といっても夜で真っ暗だ。
一日が五時間しかない為に、夜は約二時間しか訪れない。
人間は、そんな環境に適応する為に、睡眠時間が短くなったものの、眠りの周期が増え、細かな睡眠を分けて多く取るようになっていた。
ルナは、垣間見えるライトの寝顔をそっと見つめた。
Zzz……
人間と話したりしたのは、アラン以来だった。
これ以上、人と関わっていてはアランの事を思い出し過ぎてしまい、苦しくて、胸が張り裂けてしまいそうだ。
……
ルナは、静かに部屋を出たのだった。
先ほどの部屋と同じで、むき出しになった配管や配線が壁を彩り、薄暗く低い天井で幅が狭く細長い廊下を壁伝いで進んでいく。
すると廊下の突き当たり行き止まりに行き着いたが、近くに備え付けられた階段があるのに気がついた。
階段に視線を向けて見上げると、小さな穴が空いており、そこから薄焼けの空が見えた。
ここから登れば外に出られると思い、階段を上がった。
梯子を登りきり外に出ると、
そこは“潜水艦”の艦上だった。
潜水艦の大きさは、まるでマッコウクジラが横たわっているようだった。そして艦体の半分が真っ二つとなっていた。
潜水艦は既に壊れており、本来の役目を果たすことは出来ない状態であった。
地上から十五メートルほどの高さだった。杭と廃線で作られた手作り感が溢れる転落防止用の柵で囲われており、簡易的の船橋が設けられていた。
ルナはその柵に手を掛けて、景色を見渡した。
東の彼方の空が、早い間隔で徐々に明けていく。
朝の訪れだ。
朝陽が照らし出す景色は、何処までいっても枯れ果て、渇いた砂の大地が広がっていた。
百年間……気候変動により降水量は大幅に減少し、海は年月が経つにつれて海水が減少してしまい、やがて干上がってしまった。
この潜水艦が、こうして姿をさらけ出してしまっている理由の一つだろう。
あの蒼い地球は一体、何処へ行ったのだろうか。
アランと一緒に行った海水浴の思い出が、ふとルナの脳裏によぎり、ルナの瞳から涙が溢れこぼれた。
滴り落ちた涙は渇いた大地へと向かっていったが、途中で蒸発してしまい、大地を潤すことは無かった。
アラン……
力無げに沈んだ声で呟き――その声と同じように身体の力が抜けると、そのまま倒れ込み十五メートルの高さから落ちていった。
少し時間は戻り、ライトの部屋―――
うわっ!
ライトは、ビクッと身体が痙攣するとバランスを崩してしまい、椅子から滑り落ちる前に目を覚まし、ライトは起き上がった。
高い所から落ちる夢を見ていたようで、額に浮かんだ冷や汗を拭った。
な、なんだ、夢か……あー怖かった。
……あれ?
寝惚け眼で、ふと部屋を見渡すと、ルナの姿が無いことに気付いた。
何処に行ったんだ?
お手洗いにでも行ったと考えたが、ルナにとってここは初めての場所。
その道中で迷子になっているのではと案じた。
捜しに行こうと部屋から出ようとしたが、寝起きだった為に足元がおぼつかず、
痛っ!
机に足をぶつけてしまった。
その衝撃で、机に有った見慣れない小袋が床に落ち、中身が散らばった。
あーあー、しまったな……。
この袋はあの娘(ルナ)のかな?
ライトは、腰を落としその散らばった物々を拾い集める。
綺麗な石、錆びついた指輪、ネジ。
ガラクタばかりだったが、ある一つの物にライトの目が留まった。
これは……
それを手に取り、じっくり眺める。
そして、床に無造作に置いてある本から一冊を取り出し、ページを捲った。
開いたページと手に取った物を見比べ、確証を得た。
間違い無い……これだ!
これが有れば直せる!
そしてライトは、拾った物を優しくしっかりと握り締めて、勢い良く部屋を飛び出した。
戻ってくるのが待ってはいられないと、この所有者であるルナを捜しに行ったのだった。
薄暗く低い天井で幅が狭く細長い廊下を駆け抜けていく。
途中にある部屋の中を覗きながら、ルナの姿を捜したが、どこにも居なかった。
もしかして、外に出ているのかな?
そう見当をつけると、大切に握り締めていた物をポケットに仕舞い込み、艦上へと出る階段を駆け上った。
***
穴から艦上を見回すと、手作りの柵の所で背中を向けているルナが居るのが目に入った。
えっ……!
声をかけようとした瞬間――ルナは柵からなだれ落ちた。
突然の出来事に状況を掴めず、ライトは呆然としてしまった。
その二秒後だった。
――ドスンッ
鈍い音が響いた。
……っ!?
その音で我を取り戻したライトは、慌ててルナが立っていた場所に駆け寄った。
そして、柵から上半身を乗り出して、下の様子を覗う。
朝陽で照らされた大地に、ルナがうつ伏せになって倒れているのが見えた。
ピクリとも動く気配はしない。
お、おい! ルナ、大丈夫か!?
サァーと血の気が引く音が聞こえるほどで、顔面蒼白になったライトの脳裏に、バイクでルナと衝突したシーンが思い浮かんだ。
あの時は奇跡的に無事だったが、二度も奇跡が起こる可能性はゼロに等しい。
この後どうするかと考えると、あの時と同様にルナの元にいち早く駆け寄るしかなかった。
動揺していたために、ライトはここから飛び降りようとして柵に足をかけたが、
いやいや、こんな高い所から飛び降りたら、無事で済まないだろうに!
確か、ロープが……
その判断が間違いであると気付いた。
柵に括り付けていたロープの存在を思い出し、そのロープを伝って降り始めた。
一秒でも速く降りようとしていると、
半分の所でロープは切れてしまった。
えーーーーーーッッッッ!!!
思いがけないショートカットをしてしまった。
腰を強打したものの打ち所が良かったらしく大怪我にならずに済んだ。
痛たたたた……
それでも痛みが身体を奔るが、我慢しつつ、ライトはルナの元へと駆け寄った。
お、おい。大丈夫……
声をかけると否やルナは、
バイクと衝突した時と同様に何事も無く上半身を起こし、そのまま何事も無く起き上がった。
最初に逢った時と同じく、痛みも感じていないように平然しており、ライトの存在に気付く素振りもせず、何処かへと行こうと歩き出す。
……
ライトはあ然として、去り行くルナを目で追いかける。
タダじゃ済まない不慮の出来事を、二度も身に受けているのにも関わらず、ルナは何とも無い。
流石に不思議な雰囲気を漂わせる少女――ルナが只者ではないと感じ取っていた。
だからこそ、彼女が何者かであるか知りたかった。
ま、待った!
君は一体、何者なんだ?
ルナは足を止め、そっと振り返る。
あの時、アランと初めて会い、あの時と同じような問いだったから。
涙ぐんだ瞳に、ライトの姿にアランの姿が重なった。
自分の目の前にいるのが、アランではないと解かっている。
しかしルナは、かつてアランが訊ねてきた問いと同じような―言葉―に心を揺さぶられ、アランと過ごした日々が脳裏に過ぎった。
私は……ルナ。
月の化身……。
自然と口が開いた。
アランと語り合った時と同じように、ルナはライトに自分の正体を……地球がこうなっていった経緯を包み隠さずに話した。
言葉を吐き出すことによって、自分を締め付けている気持ちが、少しずつ軽くなっている気がした。
……
黙ったまま話しを聞くライトが、アランと同じような表情をしていたのがルナは妙に懐かしく思えた。
ルナの話しを一通り聞き終わったライトは、聞いた話を復唱するかのように振り返る。
その……ルナは、月の分身? 女神様だった?
それが、地球に降り立って、アランという人に恋をしたから月に戻れないようになって、その所為で月は消えてしまった。
そして地球はこうなってしまった。か……
ルナが月の分身……月の女神――只の人間では無いことは、今までの出来事で納得いく部分がある。
なるほど。ある意味、あのミッシング・ムーン・キング(絵本)みたいだな……
ルナが語った内容は、まるでおとぎ話を聞くような感覚だった。
それに、月が消えたのはライト自身が生まれる前のこと。
地球を滅ぼした原因の張本人だとしても、ルナを責める感情が湧きはしなかった。
苦しい日々を生きていくためには、過去を振り返るのではなく、これからどうするべきか行動すること。
誰の所為にしたとしても、今の環境が変わらないという事を充分知っていた。それが今の地球で生きて、ライトが学んだことだった。
それで……ルナは、これからどうするんだ?
ルナは顔を伏したまま答える。
このまま、アランを捜し続ける、だけ……
でも、その……アランって人は、多分……
……解かっている
自分に呟きかけるように、とても小さい声だった。
アランと離ればなれになって100年は経過している。話しを聞く限りでは、アランはただの人間だ。
この荒廃した世界で、100歳以上生きれる人間は居ないだろう。
……だったら、それ以外に何かしたいことは無いの?
流石に、もうこの世に居ない人を捜しても……
アランが見つかること以外……。
望むとするのなら……。私は、この命を終わらせたい……
それって……
その言葉をライトは充分理解を示した。
植物もろくに育たない地球で生きていても、この先希望の無い未来が続いている。
備蓄している保存食が尽きる前に、新しい保存食を探さないといけない。もし見つからなければ、餓死で命が尽きてしまう。そんな綱渡りの生活だ。
生きているのに、何の未来も意味も無かった。
そうか……
だったら、俺の棺桶に乗るか?
棺桶?
そう。前にも言っただろう。
棺桶を作っている……というより、修理している最中だから……あっ!
ライトは何かを思い出したように、自分のポケットの中からある物を取り出す。それは、ルナが持っていた小袋の中に入っていた物体。
そうだ、そうだ。完璧に忘れていたよ。
ルナ、これを貰っていいかな?
それは電子端末機だった。
人間の生活に乏しいルナは、これが何であるかは解かってはいない。ただ、アランが持っていた物に似ていたので拾ったものだった。
それは……
君が持っていた小袋の中に入っていたものだよ。
これさえあれば『棺桶を飛ばせる』ことが出来る、かも知れないんだ!
?
さしものルナも、ライトの言葉に意味を理解することは出来ず、怪訝な表情を浮かべてしまったのであった。
***
ライトが暮らしている場所は潜水艦だが、ただの潜水艦ではない。
原子炉を動力にして、限りなく無限に近い航続力を持ち、かつては大海を縦横無尽に潜水していた原子力潜水艦。
その潜水艦の艦内を、ライトが先頭に立ち、ルナにその事についても説明しながら案内していた。
ここに残っていたデータベースを調べた所には、アメリカという国が保有していた潜水艦だったらしい。
まぁ、その話しはさて置いて。
最初、ルナに棺桶の話しをした時に、あの絵本……。
ミッシング・ムーン・キングを読んで月とかに興味を持った……その流れで宇宙とかにも興味を持ったんだ
……
ルナは黙ってライトの話しを聞きながら、後を付いてくる。
そして、いつかあの宇宙に行ってみたい……と思うようになったんだ。
食うにも困る毎日、どうせ生きていても何も無い。
なら、死ぬんだったら、自分が憧れた場所で死ねたら本望だと。
そこで、宇宙に行く方法を調べたんだ……
宇宙に行く為には、宇宙ロケットという乗り物が必要だった。
飛行機や風船とかで、ただ空を飛ぶだけでは地球の重力という鎖を断ち切ることは出来ず、大気圏を越えることは出来ない。
その鎖を断ち切るためには、ロケットエンジンの強力な推進力が必要だった。
ロケットは、かつてはフロリダという場所に有ったらしいが、そこの建物や施設は倒壊していて、何もかも使い物にならなくなっていた。
ライトはロケット探しをして、あちらこちらを放浪してた時に、この潜水艦を見つけたのだった。
最初は保存食が有れば良いと思っていたが、この潜水艦には“ある物”が積まれていた。
それが、これだ
ライトが指した先にあった物は、大きな筒状の機械が数本安置されていた。
それは“核弾道ミサイル”だった。
かつて世界を核の恐怖で縛りつけ、無駄な戦争を起こさない為の抑止力として存在していたもの。
これが本来の役目で使われたという記録は無い。そして、これからも。
ロケットとミサイルの作りは基本的に同じものなんだ。ただ、使用目的とかによって、その名称が変わるらしいんだ。
このミサイルをロケットに改造して、宇宙まで飛ばそうとしていたんだ。このロケットが棺桶だ
核弾道ミサイルは厳重に保管されていた為に、錆びてたり朽ち果ててはいなかった。
そこでライトは、独学でロケットのことを研究し、ロケットの改造や修復には粗方目処が着いた。
しかし、問題は、そのロケットの発射を制御する部品が壊れていたのだった。
だけど、この機械の部品(チップ)があれば直せるかも知れないんだ
ライトは電子端末機をルナの方に向ける。
だからお願いだ、ルナ。悪いが、これを俺にくれないか?
これが有れば、宇宙に行けるんだ。
そして、約束する。必ず、ルナを宇宙に連れて行くよ。
そして、そこで一緒に死のう。
だから、アランという人を捜すのは、ちょっと一休みして待ってくれよ
ライトの突然の告白に、ルナは思わず戸惑ってしまった。
だが――
『約束』
ルナに逢えることを……約束だよ!
……解った。それを貴方にあげる。だから、約束を果たして
ルナは、その“約束”を信じることにした。
それは、少しでもアランを感じていたいとう、狭量な思いだった。
こうして、どうなるとも知れぬ自分の身と電子端末機をライトに委ねたのであった。