4.ブラックジョーク
      シークレット




















数日後のことである。














つきましたよ澄人さんっ。小さな一軒家ですけど、ここが我が家です!

初に先導されてやって来た、彼女の住処。



大きさはさほどでもないが、二階建てで車庫つきの十分立派な家屋だ。



上部は灰色で台形の屋根があり、庭を含めた家全体を塀が囲んでいる。



その塀には郵便受けや〝灰塚〟と書かれた表札があり、その横を通り過ぎて敷地内に踏み込むと、ガラス張りのドアが姿を現した。










初がそのドアノブを引いて、

どうぞ、澄人さん。遠慮なく上がっちゃってください。

澄人

ありがとう。お邪魔させてもらうよ。











黒のおさげを追って中に入ると、綺麗なフローリングの廊下が見え、玄関のすぐ隣に階段があった。

靴はほとんどない。

今日は、両親が出かけているんです。

そう言いながら階段を上がる初を追い、二階へ。











案内されたのは、白と赤だけで構成されている小洒落た一室であった。











あ、あのっ。部屋は狭いですし、椅子もないので……どうぞ、ここにっ!

澄人

え? ああ、ありがとう。汚さないように座らせてもらうよ。

部屋は、五畳もないといったところか。





純白の壁と赤いカーペットに囲まれ、そこに白のタンス、本棚、脚の低いテーブル、勉強机などがある。

主に大きな家具は白く、それ以外のものは赤が中心だ。





澄人は爽やかな笑みを浮かべつつ、赤い果物柄のかけ布団の上に腰を下ろした。

澄人

内装のセンスはいいけど……科人の言った通り、やはり不器用なのかな。いくら狭いとはいえ、座布団もあるんだから、床でいいんじゃないか? もしかすると、本当にワンボタンで科人を呼ぶような羽目になるかもしれない。

経験則から身の危険の可能性を導き出す澄人。

だが一方で、なぜか自然と初を受け入れてしまうような心があり、〝床で結構〟と断りはしない。





初はテーブルの上に置いてあった小型のノートパソコンを手にすると、澄人と同じくベッドのかけ布団に腰を据えた。

これ、私のパソコンです。どうぞ、勝手に弄ってくれて構いません。

笑顔でパソコンを手渡した彼女。

だが、すぐにはっとして立ち上がり、

そういえば、なにも用意していませんでしたっ。今、お茶とお菓子を持ってきますね。

澄人

お、それは楽しみだな。紅茶を入れることはできる?

紅茶ですか? はい、ティーパックならすぐにできますよ。五分くらい待っていてくださいね。

言って、少女は意気揚々と紅白の部屋から姿を消していく。





静かに閉まった純白のドアを一瞥すると、彼女が階段を降りていく足音を聞きながら、あるUSBメモリをノートパソコンに接続した。




澄人

ごめんね、初ちゃん。俺を咎めるのなら、後でいくらでも懺悔しよう。

内心の独白とともに、初のPCを起動する。

OSの立ち上がりをぼんやりと眺め、デスクトップ画面に移行するとすぐさまUSBメモリ内のデータを〝実行〟。















そのデータとは、科人が作成した簡易な履歴検索ソフトであった。















もしも澄人がなんの企みも持たぬままここにいれば、おこがましく紅茶を所望することなどあり得なかっただろう。

それどころか初の手伝いをし、時折二人で味見などしながら楽しげな空間を作っていたかもしれない。

この行動は、初がパソコンの履歴を消しているという可能性を考慮してのことだった。

科人

履歴なんてどうせ消してるでしょ。あの子だって愚直そうに見えるけど、腹の中は悪質なカビでも生えたように真っ黒かもしれないからね。

先日、初の家へ行くことが決まった夜に、科人がそう忠告してメモリを渡してきたのである。





ソフトはいかにも怪しかったが、単身丸腰で敵の本拠地に飛び込むほど澄人も馬鹿ではない。

それ故、彼は素直にメモリを受け取り、今こうして先手に打って出ているのだ。





一抹の罪悪感が彼の良心を苛むが、ここは自分の身のためだと割り切ってパソコンを操作した。

 




 

 





ソフトがBJN関連の履歴を検索し終えるのに、10秒もかからなかった。




 

 




 

澄人

おっと、もう来たか。

〝やけに早いなあ〟と思いつつも、検索結果が羅列されたウィンドウをスクロールしていく。





その数、百件以上。





最初は科人がBJNの管理人としてねつ造した履歴を挙げているのではないかと勘繰ったものの、BJN以外のサイトに対するアクセス履歴が、その邪念を掻き消した。





試しにエクスプローラーを立ち上げて履歴を照らし合わせてみると、なるほどたしかに一致する。

検索ソフトの名は伊達ではないらしい。

澄人

彼女も、半年ちょっと前からBJNに登録していたのか……。

検索結果の最上部あたりには、初がBJNにアカウントを作った跡。

科人の心遣いなのか、あるいは策略なのか、ご丁寧にネットワーク内の行動履歴まで載っている。





他の評価サイトの閲覧を鑑みるに、おそらく彼女はBJNにかなりの猜疑心を持って登録したようであった。

アカウントの作り方を説明しているページにも、彼女の足跡がついている。

澄人

けれどこれだけじゃあ、あまり有益な手がかりにはならないよな。

百件強の履歴をスクロールでざっと見通し、彼女の発言などを辿ったりもしたが、これといって澄人のアカウントに関わるような情報は出てこない。

発言の中で、たまに話が飛んでいるようなところも見受けられたが、人との日常会話でそのようなことはざらにあるだろう。

そもそも、覗くことができるのは初の発した台詞だけなので、会話内容が飛んでいるのかどうかすら怪しい。










ところがここで、澄人は検索結果の中に異質なものが混じっていることに気がついた。










それはサイトのアクセスではなく、一つのワード文書。

 






題は、〝妄想日記〟とあった。





 

澄人

これは、覗けば彼女の尊厳を大きく損なってしまうような代物じゃないか……?

今使っている履歴検索ソフトは、まず検索画面にキーワードを入れ、それを含む文書やサイトを洗い出す類のものだ。

今回ならば〝BJN〟。

この検索結果にワード文書が出てくるということは、すなわちそのドキュメントの内部にBJN関連の単語や話が記載されているということなのだ。





しかし、どうしたものか。





いくら初が確率的に悪者かもしれないとはいえ、人の日記を無断で拝見するというのはとても褒められた行為ではない。

それに、あまつさえ慈悲の深い澄人である。

自身でもわかってしまうほどに顔を歪め、思わず体の動作を停止させていた。











束の間だけ、妄想日記という単語をじっと見つめる。









 

澄人

はあ……できるわけがないだろう。くそ。科人がいればなあ。

やはり澄人には不可能であった。

なによりも、初の心を乱すかもしれないというその一要因が、彼にとって強いブレーキとなっている。





不思議なのは、その思いの出所だ。





いつもの純粋な良心からそうしているわけではない。

恋でもないだろう。

澄人には、決して侵すことのできない一線。

なにか枷や鎖を装着され、どこかに縛りつけられているような感覚。















〝強制〟という単語が、彼の脳裏に浮かぶ。














 















音がした。














一回から上がってくる足音。















初が戻ってくる。




 









 

澄人

マズい……!















 

音はすぐに近づいてくる。















 

何秒と数えないうちに『澄人さん。すみませんが、ドアを開けてくれませんか? 両手が塞がっていて……』という声が飛んできて、

 















 

開けてくれてありがとうございます。紅茶、入れてきました。澄人さんは、パソコンからなにか掴めましたか?

澄人

いいや、まだなにも。ただ、思いがけず君のちょっと恥ずかしいワード文書を見つけてしまったくらいかな。それにしても、紅茶、ありがとね。いただくよ。

初を部屋に入れたとき、既に検索ソフトは閉じられていた。

USBメモリも回収済み。

パソコンはデスクトップ画面を映し出した状態で、なんの変哲もなくベッドの上に置かれている。

お盆、テーブルの上に置いておきますね。

あ、あの、恥ずかしいワード文書って……もしかして、〝妄想〟とかいう単語が入っていたりします?

澄人

ああ、まあね。もちろん、開いてはいないけれど。ただ、少しでもBJNに関して記述があるのなら、見てみたくもあるかな。

ドアを閉めた澄人は、初がティーポットからカップに紅茶を注ぐ光景を眺めながらベッドに腰を落ちつける。

彼の所業を聞いた少女は耳まで肌を赤くしながらも、手を滑らせはしなかった。










澄人が敢えて妄想日記の話題を出したのは、どうもあのデータが心に引っかかっているからだ。










まだ隈なく調べたわけではないが、大まかに調査した限り目ぼしい情報は出てきていない。

収穫があるとすれば、残る場所はあのファイル内だ。















僅かな沈黙が、部屋の中に湧く。















やがてその静寂を打ち消したのは、少女が吸い込んだ温かい空気。

加え、その直後に放った声であった。

い、いいですよ……?

澄人

え、本当に?

もちろんです。嘘なんて、つきません。なぜかはわかりませんが、今、ほんの一瞬で納得することができました。決断することができました。澄人さんになら、どんな恥ずかしいものでも見せることができる、って。

まるで催眠術にかかった被験者のように、糸で操られている人形のように、なんの逡巡もなく、あなたを受け入れられるんです。

澄人

誰かに操られているように、ね……。

乙女らしく頬を染めて告白する初に、澄人は自分と同じ強制力が彼女に働いているのではないかと勘繰ってみる。





もちろん、解答は出ない。





しかし彼が初の言葉を信じてしまいそうになっていることも、彼の心臓が鼓動を速めていることも、〝科人は見当違いをしているのではないか〟と疑いつつあることにすらも、やはり自発的なものは感じられなかった。





ならば、この気持ちはなんであるというのか。

恋ではない。

それだけは、手がかりのない澄人にも理解ができた。

私は恥ずかしいので、こっちでお茶をしていますね。

まあ、なんと言いますか……とてつもなくとてつもないことが書いてあると思うのですが、爆笑はしないであげてください。ちょっとくらい馬鹿にされるのは覚悟の上ですけど、澄人さんにボロクソ言われたら、私、生きていける自信がないので……。

よほど人目を避けるべき内容なのだろう、少女は泣きそうな顔で懇願してくる。

澄人

それを予想できてなお、俺に例の日記を見せてくれるのか。

澄人は目を丸くしたが、そこは絶世の美男。

これまで彼が女性を泣かせた原因のリストにおいて、嘲笑という二文字はない。





彼は温かい毛布で彼女を包むかのごとく、朗らかな笑みを作ると、

澄人

心配しなくてもいいよ、初ちゃん。そういう類の書類には、何度も出くわしてきているからね。馬鹿になんてしないさ。ただ、女の子の日記が可愛らしくて目を細めてしまうかもしれないから、そこは承知してくれるかな?

 言いつつ、彼は初のノートパソコンを開き、

かっ、可愛らしくなんてないですよっ? た、多分!

と沸騰中の彼女を尻目にデータを漁り始める。





プログラムの検索バーを開いて〝妄想日記〟と入力すると、早速一件、いや二件がヒット。

一つは予備のファイル。

念のためなのか、バックアップまで取る初であった。










 




 

最後に、少しだけ逡巡する。



本当にこのファイルを開くべきなのか、と。















いや、それでも押してしまう。










 





抗えないなにかに惹きつけられるまま、
澄人はファイルをクリックした。

 














 

4.ブラックジョーク・シークレット

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