波の音が聞こえる──。

バトレル

ティエラ様……あまり風に当たるとお身体に障ります

ティエラ

もう少しいいでしょ?バトレル!

バトレル

……ですが、大切なお身体です

 この世界には主に四つの国が存在し、ここはその内の“ウェスト公国”と呼ばれる国である。

 他の三つの国と比較すると、領土も人口もかなり小規模だが、神の金属と称させる“オリハルコン”が採れる唯一の国としてその名を知らぬ者はいない。

 その公国の主君である“大公”の第二公子、第一皇女がティエラと呼ばれた少女である。

 そして、第一皇女の専属執事であるバトレルは、自身が幼い頃よりティエラと共に育った。

 バトレルの一族は代々、大公の血族の専属執事を務めており、公子が産まれると歳の近い者を選出し、生涯の執事となる。

 もちろん幼子である者を最初から執事扱いしているわけではなく、共に育つことでまず信頼関係を持たせることを目的とする。

ティエラ

私も子供じゃないんだから大丈夫です!

バトレル

失礼ながら、ティエラ様はまだ子供です

ティエラ

……

 多少地域差はあるものの、概ね15歳になると成人扱いされるこの世界において、明日の誕生日を迎えるまでティエラは子供扱いとなる。

──明日。

 そう──明日になれば大人。

 その事実が、ティエラの気持ちを沈めていた。

 第一皇女ではあるが、公子としては二番目であるティエラは、産まれながらにして婚約者が決められている。

 後継者争いを避けるための措置ではあるが、相手がどんな人物であるかは成人するまで一切知らされることはない。

 もちろんその習慣や決められた相手、それを決めた人たちを否定する気はティエラにはなかったが、“そういうもの”として諦めきれるものでもなかった。

 民は自由に出会い、自由に恋愛をし、自由に暮らせる、ということに憧れているだけ。

 飢える心配もない贅沢な暮らしは逆に民が憧れるということも理解しているので、ティエラ自身恵まれていることも分かってはいる。

 だが、何物にも縛られない生活を婚姻前に一度でも、少しの間でもいいから経験してみたいとは思っていた。

叶わない願いと知りつつも──。

ティエラ

バトレル!

バトレル

はい

ティエラ

貴方は何か願い事とかないの?

バトレル

私……ですか?

ティエラ

そう、貴方

 昔から我が儘を言っていたのは自分だけだったと気が付いたティエラはバトレルに問い掛ける。

 婚姻前なら多少の無茶な要求も“まだ子供だから”と通るかもしれない。

 この執事の願いを聞き届けられる最後のチャンスかもしれない──と。

バトレル

私の願いは、ティエラ様が健やかに過ごされることだけです

ティエラ

……それだけ?

バトレル

はい

ティエラ

他にはないの?

バトレル

ありません

ティエラ

何かあるでしょ!?

バトレル

何か……とは、例えばどんなことでしょう?

ティエラ

例えば……例えば……?

バトレル

……

 バトレルは微笑みながら、ティエラの言葉を待つ。

ティエラ

例えば、長期休暇が欲しいとか!?

バトレル

それは解雇という意味でしょうか?

ティエラ

そうじゃなくて!
たまには自由に遊んできたいとか……そう思ったことはないのかなって……

バトレル

ありませんよ

 トーンダウンするティエラに、バトレルは微笑みかける。

バトレル

これからも執事として……ティエラ様のお世話をしたい、という願いではいけませんか?

ティエラ

それはお仕事でしょ?
そうじゃなくて……

バトレル

仕事ではありません。それが私のすべてです

ティエラ

……

バトレル

さあ、そろそろ戻りましょう。お身体に障ります

ティエラ

私は……っ!!

バトレル

……

ティエラ

私は……。バトレル……、私は……

バトレル

大公様を困らせるような発言は控えるのが賢明ですよ

ティエラ

……

 何を言いたかったのか、ティエラにもよく分からなかった。

 しかし、何を言ってもバトレルの言うとおり自分の父を困らせるようなことだっただろう。

 明日に自分は成人し、まだ見ぬ夫と近い内に婚礼の義を執り行わなくてはならない。

 今更──何を言っても変わらない。それならば何も言わないほうが賢明。

もう子供ではないのだから──。

ティエラ

戻ります

 ティエラは目の前に広がる青い景色に背を向けると、自分の家である城へと歩き出す。

ティエラ

……?

 城の前まで戻ると、馬の足音が遠くから聞こえてきた。

ティエラ

今日は誰か訪ねてくる予定なんてあったかしら?

バトレル

皆様明日のパーティー直前にお集まりになるので、今日は予定はないはずですが……

ティエラ

……ということは……

勇者

姫様! お久し振りです!

ティエラ

勇者!?

バトレル

……

 勇者と呼ばれた青年は、ひらりと馬の背から降りる。

 ウェストから南東に位置する“サウス連合国”公認の勇者だが、過去に魔王を倒した勇者とは同一視されていない。

 魔物は当然存在するが、表立って暴れているわけでもなく、“勇者”という存在は現在社会的地位が高いだけの公務員のような扱いをされていた。

勇者

サウス代表団の一人として、明日の姫様のパーティーに出席させていただきます

 勇者はにこやかにそう言うと、片膝を突く。

勇者

この度はご成人おめでとうございます

ティエラ

今日はまだ子供だもん♪

勇者

一番に言いたかったので!

ティエラ

うん! おめでとうって言ってくれたのは勇者が一番だよ!

勇者

やった!

バトレル

……

 とっくに成人している勇者と、明日成人するティエラは子供っぽくじゃれ合う。

 勇者が“勇者”として正式に任命されたと、サウス代表団が数年前にウェストへやって来た時から二人は仲が良かった。

 それは“勇者”と“姫”というより、“兄妹”のような感じであったが。

勇者

では姫様! 代表団から勝手に抜け出してきたので私は戻ります

ティエラ

勇者は自由にやりすぎです!

勇者

また明日お会いできることを楽しみにしています。では!

ティエラ

はい!

 勇者は馬に跨ると、大きく手を振りながらその場から立ち去った。

バトレル

……

ティエラ

バトレル、入りましょう

 ティエラは勇者が見えなくなるまで手を振り、完全にその姿が見えなくなると踵を返し、城へと入る。

──明日、

この少女は──

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