第八話 月見の塔の攻防
第八話 月見の塔の攻防
俺たちは月見の塔のらせん階段を見上げていた。
お嬢様がここにいる予感がしますわ
北鎌倉の言う通り、ここに二人の気配を感じる。
おい、ジル!! 七星!!
俺は上に向かって叫んだ。
塔は吹き抜けになっていて、壁にそって伸びるらせん階段の彼方は真っ暗で何も見えない。
まるで夜の空に向かって階段が伸びているようだ。
ジルいるのか!?
返事が無いまま、俺の声は頭上の闇に吸い込まれる。
七星!いたら返事しろ!
階段を上がりながら、俺は呼びかけた。さすがの北鎌倉も、緊張した面持ちで何俺の後をついてきていた。
俺たちの足音だけが響いている。
そのころ、七星とジルは月見の塔の内側ではなく、外側にいた。
塔の窓からすぐ真下にある、屋根の上に。
後にジルから聞き出した話をつなぐと、
大蝙蝠となって七星をさらったジルは、昼間に変身をしたことで体力を失い、血を吸うどころかこの月見の塔に身を隠すので精一杯だったそうだ。
変身を解いて衰弱しているジルを前に、七星は逃げもせず、彼を介抱していたらしい。
やがてジルは陽が傾くにつれ徐々に回復し、夜になると元気になった。
月明りのもとで七星を「ごちそうになる」べく、
ジルは彼女を窓の外に連れ出すことにした。
漆黒のマントを翻し、七星をお姫様抱っこして、空中をふわりと蹴るジル。
七星はその腕の中でポーっと頬を赤らめていたらしい。
(これはジルの妄想だと思う)
塔を駆け上がってきた俺と北鎌倉は、
そんな二人の会話を、耳にすることになる。
おじさま
塔の頂上の音はよく反響した。まだかなり先にある窓の向こうから聞こえてきたのは、七星の声だった。
本当に、おじさまは、おばあさまの愛したジル・ド・バードリ卿なのですか
俺は踊り場で足を止め眉をひそめた。
北鎌倉が七星の名を呼ぼうとしたが、そっと手で制して、人差し指を唇にかざす。
おばあさまからあなたのお話はよく聞いていましたわ。
でも、おとぎ話だと思っていた。
おばあさまが、ご自分の亡くした恋人を吸血鬼になぞらえて語っていらっしゃるのだろうと。
まさか本物の吸血鬼とは思わなかったかね
ええ、さすがに
そうだろうね
ジルはどこか嬉しそうだ。
……でも、本当にあなたが実在して、この屋敷でずっと眠っていたのなら、何故おばあさまが生きている間に起きてくださらなかったのです
…………。
そうすればおばあさまは一人ぼっちにはならなかった。なぜ……何故、今ごろ目覚めたのですか
とがめるような口調。ジルはどんな顔をして沈黙しているのだろう。
何故、目覚めたのは今なのか。
俺はとても大事なことが脳裏をよぎったような気がして、こめかみを押さえた。
知りたいかね
ええ。
おばあさまは何も教えてくれないまま逝ってしまって、何もかもが謎だらけ。
おかげで私とアマネお兄様は、宿題ばっかりですわ
宿題を残されたのは君たちばかりではない。私にもある
俺と北鎌倉は二人の話を盗み聞きながら、足音を潜めて階段を一歩一歩ふみしめた。もうすぐ頂上の踊り場、窓があるところにたどり着く。
……宿題をなしとげるには、私はもっと力を取り戻さなければならない……
俺は駆け足になった。雲が晴れてきたのか、窓から月明りが差し込んできた。
……そろそろいただくとしようか
ええ……どうぞ
!?
俺は窓枠にすがりついた。
七星が危ない!!
やめろジル!!七星!!
俺は、抱きすくめあう二人に叫んだ……
はい、あーん
あーん
つもりだったのだが。
二人は屋根に並んで座り、お弁当の卵焼きをあーんするかのように、鉄分グミをあーんしていた。
おいしいですか?
最高だ。処女の手づからいただく鉄分は、オドたっぷりで極上の美味
まあ、よかった
~~~~~!!
俺の腰から、へにょりと力が抜けた。
お嬢様ーーーーーー!!!
俺の後ろから、北鎌倉が大音量で叫ぶ。
さあ、そろそろ門限のお時間でございますわ。お戻りくださいませ
あら、北鎌倉、お兄様
七星は今気づいたというようにくるりとこちらを向くと、にっこり微笑んだ。
もうそんな時間ですのね
ふむ、どれ、戻るとするか
ジルは七星を軽々と抱き上げると、塔から出ていった時と同じように、屋根を蹴って跳躍し、鳥のようにふわりと窓の中から舞い戻った。
……ジル様、ブラーボ!!ブラーボです!!
ジルの腕の中から七星が降り立つと、北鎌倉は手を叩いて大喜びした。
本日は実にすばらしいものを見せていただきました
北鎌倉はあまつさえジルに握手を求めた。あいまいに微笑んでそれに応じる吸血鬼。
劇団新★線もかくやという驚きの大仕掛けに、お嬢様を誘拐するというドキドキハラハラのストーリー仕立て。この北鎌倉感服いたしました。
敵ながらあっぱれでございます。ありがとうございました。アマネ様も、ありがとうございました
何にありがとうされているのかわからぬまま、俺も思わず握手してしまった。が。
ええと、北鎌倉政子さん?
はい?
一つだけ確認しておきたいんですが、あなたこの一連の騒動を一体なんだと思ってらっしゃる
あら。私とお嬢様の調査を邪魔するための、2.5次元芝居でございましょ
2.5次元ってなんだ2.5次元て。
ああ、あれか。
アニメをミュージカル化したよーな、そーゆーアレか。
私とお嬢様を引き離して怯えさせ、
もう二度とこの月光館に近づけまいとするという計画そのものはあっぱれでございましたわ。
しかしまさか、私がその芝居に乗るとは思っておられなかったようでございますわね
あー……じゃああのヴァンパイアハンター北鎌倉というのは
無論、この即興劇に参加するためのとっさのキャラ設定でございます
とっさにキャラ設定ってできるもんですか。
しかしツメが甘かったようですねアマネ様。
お二人の芝居に翻弄されながらもこの北鎌倉、しっかり調査を完了させていただきました
結果はどうでしたか、北鎌倉
はいお嬢様、本日の調査結果は残念ながら合格でございます。
どのお部屋も歴史ある状態が保たれ、アマネ様が持ち込まれた私物は悲しいほどしょぼい量でございました。
風紀の乱れもエロ本数冊、AV数本足らず。アマネ様のお年頃ではむしろ心配な量でございます
余計なお世話だ!!!
そうですか。……お兄様に、女の影はなかったということね
ご心配なくお嬢様、天に誓ってこいつはモテません
ご苦労でした
なんだかすごく丁寧に心を切り刻まれてる気がするんだけど
やり場のない感情に血管を浮き立たせていると、七星がひょいと俺の視界に入ってきた。
お兄様
七星は上目づかいで俺を見た。
お騒がせいたしました。本日のところは退散いたします。
あ、ああ……
また改めて参りますわ。
おじさまともっとゆっくりお話をしたいですし、お兄様の身の回りのことも心配ですし。
身の回りって
お兄様に悪い虫がつかぬよう、これからも月イチ、いえ週イチのペースでチェックいたしますからそのおつもりで
いや、こんな大騒ぎを週イチってお前
それでは、ごめんあそばせ
ごめんくださいませ
二人の女性は急に淑女めいた仕草で頭を下げると、塔の階段をさっさと降りていった。
はぁ……?
俺はあっけにとられて、口を半開きにしたまま二人の背中を見送った。
いつの間にか俺の隣で、ジルがくっくと肩を震わせて笑っている。
いや、七星は実に夜子に似ているな。ああいう強引なところなど、血は争えないものだ
…………ど
笑っているジルを見て、俺はふつふつと今日一日分のツッコミが、いや、怒りが沸き上がるのを感じた。
どれだけ人が心配したとっ!!
勢いあまって殴り掛かった俺を、ジルは少し驚いた眼で迎え入れた。ジルの胸のあたりに、俺のグーがぼすんと入る。
所詮、格闘技なんかやったこともないニートのへなちょこパンチは、痛くもかゆくもないだろう。
だけど、ほんとに心配したんだ。
めちゃくちゃ心配したんだ。
なんとなく血を吸うまではいっていない気はしたけど、でも、それならそれで、我慢するの苦しいんじゃねーかなって……
あんな蝙蝠に変身するし、変身するときツラそうだったし、ほんとにほんとにやばいんじゃないかなと思って……
七星のことももちろん心配だったけど、ジルのことだって心配だったんだ。
……心配したんだ、ばかやろー!!
ジルは俺の顔をまじまじと見て、それから、困ったように微笑んだ。
ありがとう、アマネ……
ジルは胸元に俺の拳を受け止めたまま、ためらいためらい手を伸ばして、そして俺の頭を撫でた。
……とても嬉しい
くしゃりと前髪を撫でまわされ、次の瞬間、
私はとてもキュンとしている!!
まさか!!!???
訳:よし、吸うよ★
大蝙蝠に変化してるし!!
やめれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇl!!!!
俺は月見の塔を全速力で逃げながら、木の杭を必ず買ってこようと心に決めた。