第1話

可南太

――嫌だ。その質問には答えたくない

桜田

そんな。君と僕の仲じゃないか

可南太

仲? お前が付きまとってるだけだ

桜田

でもお互い助け合ってるよ。さきだって……

可南太

昼飯の金を貸してくれた。わかってるよ

桜田

さっきの質問に戻ろう

可南太

戻らない!

桜田

答えたくないと言われると逆に気になるよ

可南太

勝手に気にしていろ

桜田

可南太。
これは大事なことなんだよ。君にとっても、僕にとっても

桜田

いいかい、
僕は素直に生きることにしたんだ。
何ごとも人のために、ってね

桜田

マザーテレサ曰く、
『とにかくベストを授けよ』だ

可南太

マザーテレサ?

桜田

今、伝記を読んでるんだ

可南太

お前が本を? マンガ以外の?

桜田

たしかに以前の僕からしたら考えられないことだ

桜田

でも、僕は自分を改めた。
そこが人間のいいとこだ。
成長できる。そして、変われる

桜田

その結果が今の僕だよ。
彼女のおかげさ

可南太

……大知さんか

可南太

……もう3ヶ月目か?

桜田

ああ。
あんな3ヶ月はもう二度とやってこないよ

桜田

彼女は僕を変えようとした。
それに応えて僕も変わった。
彼女のために、さ

可南太

それは……

可南太

……よかったな

桜田

そこで、だ

桜田

僕は働きたいのさ。
君のために、そして、みんなのためにもね

可南太

というと?

桜田

君とみんなはすれ違ってばかりだ

桜田

まず、君はみんなのよさを知らない。君も心を閉ざしてる

桜田

そして、みんなも君のよさを知らない。
特に女子は

可南太

結論を言え、結論を

桜田

結論はひとつ

桜田

君も彼女をつくるべきだ

可南太

………

桜田

そうすることで君は一皮剥ける。
人間としての深みと奥行きが増す

可南太

桜田。俺は

桜田

まあ、聞いてよ。
僕が君をサポートするからさ

桜田

その第一歩として、
僕は知っておかなきゃいけないのさ

桜田

――君が誰を好きなのか、
ということについてね

可南太

だから言ってるだろう。
その質問に答えるつもりは、ない

可南太

だいたい……


 そのとき寺の鐘が鳴った。

 学校の裏にある寺だ。

 鐘の音が波となってしみ渡っていく――。

可南太

…………!


 可南太は立ちすくんだ。

 まただ、と思い、うつむいた。

 桜田が顔を覗き込んできた。

桜田

どうした?

可南太

いや……なんでもない……


 可南太は顔をあげた。

 目の前には伽藍とした廊下が続いている。

 そのあるところにひとりの少女がいた。

 

 少女は『いる』のではない。

 可南太が『視ている』のだ。

 少女は『向こう岸』から来ている。

 幽霊か、でなければそれに似た何か、だ。

 透きとおった姿、凍りついた躰。

 少なくともこの世のものではない。

桜田

ほら、行こうよ


 可南太は頷き、再び歩きはじめた。

 少女の方へと近づいていく。

 少女は可南太を見ている。

 というより、見ているように見える。

 少女の眸は虚ろだった。

 『向こう岸』の眼だった。


 可南太の体が少女の許に差し掛かる。

 生身なら、キスできる距離だった。

 鼻先が触れ合った。

 可南太は目を閉じた。

 少女を『くぐる』ときは何時もそうする。

 何歩か歩いて目を開けた。

 可南太はぶじ、少女の躰を通り過ぎていた。

 振り返っても少女は消えていなかった。

 誰もいない廊下で、氷ったまま、

 何処かを見つめている。………

母親

最近どうなの?


 と母親が明るい声で可南太に尋ねた。

 ローストビーフを切りながら、
自宅マンションの食卓で、だった。

 可南太は答えず、じゃがいもを潰していた。

 母親は肉にナイフを引きつつ続けた。

母親

××先生のところは行かなくて平気? あの先生、来月から海外らしいけど……

可南太

平気だって。最近は視ない


 むろん嘘だ。

 今日だって視た。

 いつもあの少女を視ている。

 それも毎日、必ず学校で、だ。


 何らかの音がきっかけとなる。

 今日は裏の寺の鐘。

 明日は戦闘機の音か、選挙カーの声か。

母親

でも、脳腫瘍じゃなくてよかった


 母親は事あるごとにそう繰り返す。

 息子にはではなく、
 自分に言い聞かせているらしかった。


 可南太が初めて『視た』のは1週間前のことだ。

 授業に退屈し、窓ごしに校庭を見おろした。

 校庭の真ん中に、少女が立っていた。

 最初は変な女としか思っていた。

 だが、それからすぐ身近でも遭うようになった。

 相手が半透明なのにも気づいた。

 触れられないのも、動かないのも知った。

 可南太はまず自分の体を疑った。

 疲れているだけだと己を納得させた。

 だがその疲れは日を経ても癒えなかった。

 それどころか酷くなっていった。

 出くわす頻度も多くなり、距離も近くなっていった。

 6度目の遭遇でやっと母親に相談した。

 4才のときに父親を亡くしていて、
 母子家庭だから、頼れるのは母親しかない。

 それに母親は医者だった。

 皮膚科の開業医だが、人脈はある。

 可南太は母親の母校に委ねられた。

 脳神経外科では異常が発見されなかった。

 腫瘍も外傷も血塊もなかった。

 そこで回されたのが精神科だった。


 診断はすぐ下だされた。

 病名は可南太には知らされなかった。

 母親だけが告知された。

 そうして言った言葉が、
 ――脳腫瘍じゃなくてよかった。

 いつもそう言っているのだった。………

 可南太は部屋に戻った。

 首のバスタオルを背もたれに放り投げた。

 灯りを消し、ベッドに横たわった。


 夜は静かだった。

 風も無く、車も遠い。

 可南太はすぐまどろんだ。

 しばらくし、めざめた。

 瞼ごしに光を感じたのだ。

 可南太は身を起こした。

 部屋の隅に光の粒がたむろしている。

 光る羽虫……?

 その光が集い、像を結んでいく。

可南太

…………!

…………

 あらわれたのは若い男だった。

 可南太は思わず枕を彼に投げつけた。

 男の躰も光や物を遮らなかった。

 男は可南太を見ていた。

 直立不動の姿勢を保っている。

 男は少女と何処か違った。

 男の眼は語っている。

 伝えたがっていることまではわからない。

 すると男は身振り手振りを交えて喋り始めた。

 声は、聞こえない。

 だが、動ける。

 男は独演を続けた。

 可南太はベッドでふて寝した。

 幽霊2号、そう思った。

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