-くだりの夢-


薄い財布と音楽だけ持って家を出た

まだ太陽も眠ったままの駅のホーム
間もなくオレンジ色の電車がやってくる


空っぽの車両に
音もなく乗り込んでいく
発車までまだ少し時間がある

私は窓側の席に腰をおろし、
灰色の目で誰もいないホームを眺めている



しばらくして緑色の髪の毛の若い男や
他にも数人が乗車した

ベルの音と共に扉が閉まると
オレンジの電車はゆっくりと動き出した



相変わらず私は流れる景色を
ぼうっと眺めている

目的地はない





そもそも、私が今日電車に乗ったのは…








私が本当の間抜けに
なってしまったからである


たった一つの夢は
恐ろしい時の流れに浸食され、
まるで蜃気楼か何かのように、
朧げなものになってしまった

私は水に映った月を取ろうとして
溺れ死んだ猿のようだった


急に世界が深い霧に包まれ、
有耶無耶な時を過ごすようになり、
とうとう私は約束さえ忘れるような
本物の間抜けになってしまったのだ


鏡の中には年老いた顔
笑顔の怒り
果たされぬ約束


私は霧の向こうに恐ろしい怪物が
いるような気がして、
その場から逃げだしたのだった












静かな車内に
主婦たちの世間話だけが聞こえる
中年のサラリーマンは
耳を塞ぐように新聞で壁をつくる
その後ろで若い女性が静かに本を読んでいる

みんな何処かを目指し走っていく

窓の外には海と、
廃れた街が見えた
船着き場で早起きの老人が腰かけ、
波を見ている

私は持ってきた
黄色いヘッドホンから小さく音楽を流した

懐かしいリズムに合わせて
電信柱や家々が通り過ぎ、
よく見ればベランダの柵も
ガードレールも
橋も
カカシも
車も…

人工物のすべてがリズムを刻み流れている


オレンジの電車は一つ一つ駅に止まりながら
ゆっくりと走ってゆく






太陽が顔を出した頃、
駅のホームには白い兵隊さんがずらりと並んで、
オレンジの電車にぞろぞろと乗り込んだ
ヘッドホンからはふざけた歌が流れ出す

通り過ぎる踏み切りは
赤や緑や黄色に点滅し、
道ゆく人々の顔は
白と黒の渦巻きに化けた

空に銀の輪っかの虫が舞い、
車は足を生やして道なき道を
メチャクチャに走ってゆく

遠くの霞んだ山の裾を
恐竜が滑り台していると
黄金色の田んぼが
赤潮に蝕まれていった
ふと近くを見ると
ピンクのイタチが
私と同じスピードで走っていた

次の駅は大きな水溜りだ

そこに立ち並ぶ人々は
それぞれの夢を抱え電車に乗り込んだ


大きすぎる夢を背負った学生が
懸命に階段を駆け上がってくる

しかし学生の目の前で扉は閉まり
電車は発車してしまった

水没したホームに
たい焼きが泳ぎ、学生を笑っていた



除草剤の撒かれた荒地の中を
茶色の線路が走っている

赤いバッファローと
黄色のパンダを追い抜くと
いつも降りる駅が近づいてきた

しかし今日はこの駅も
私を迎えいれてはくれないようだった


白い兵隊さんがふざけた歌に歩を合わせ
エスカレータで戦場に運ばれていく

彼らは家族のためお国のために
昨日も今日も明後日も
立派に戦うのだ

車内には女と子どもと老人と、
私だけが残された

電車はすぐに見知ったこの駅を後にした

うすい青空に
平べったい花火が咲いている

真っ黒な雨雲に向かって電車は走る

畑の野菜が一斉に笑いだして
驚いた農夫は尻が落ちて
カカシになってしまった

広い広い田んぼの
真っただ中を一人で歩く少年

その少年の見ている景色は
この世で一番美しい景色である
それはすべての人々が必ず
一度は見たことのある景色

私はその景色を知らぬうちに
忘れてしまっていた
思い出せば埃の積もった目にも
涙が溢れる


この世界のどこに
私のための空白があるだろう

黒い鞄を持った車掌さんが
ジロリと私を見て通り過ぎていった


雨がやってきて
窓の景色に白いノイズがかかる

びしょ濡れの街に色とりどりの雨傘が咲き、
雨を喜んでいるようだった
踏み切り待ちの車が
さようならと手を振っている

傘のないサラリーマンが
ずぶ濡れで走ってゆく
眼鏡のサラリーマンは
ずぶ濡れのまま歩いている
涙でずぶ濡れだから
雨が降っていることにも気づかない

点線のついた屋根の上で
白と緑のハトも鳴いている

遠くへ行くとお墓の形が変わる




私は夢の中で眠った

しばらく
世界は静かになるだろう…




-続-

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