慇懃な言葉。ガーネットだった。奴の長いマントが俺の視界を一瞬遮ったために、暗くなったように感じたのだ。
俺は慌てて身構える。ガーネットはクスクス笑って、赤い目で俺を見つめていた。
こんばんは。今夜は騒がしい夜ですね
慇懃な言葉。ガーネットだった。奴の長いマントが俺の視界を一瞬遮ったために、暗くなったように感じたのだ。
俺は慌てて身構える。ガーネットはクスクス笑って、赤い目で俺を見つめていた。
そんなに警戒しないでください。今夜は君を襲いません
分かるもんか
ガーネットは自然体でいる。奴の言葉を信用して大丈夫だろうか?
さて。やってしまいましたね。これは大変だ
ガーネットは可笑しそうに俺を見つめる。
知ってるのか?
見ていましたから
なんだと? 俺はガーネットの気配なんてまるで気付いていなかった。ガーネットに美晴を襲う俺の姿は見られていたのか。
ガーネットだってヴァンパイア。同族が吸血している時、何を思ってその光景を見ていたんだろう?
俺をどうする気だ
どうする気もありません
淡々と答える。
だって、放っておいても君は自滅でしょう? 私はそれを眺めていようかと
この前は俺を殺すと言っておいて
今のままでは君は社会的抹殺をされる。それは分かっているでしょう? じゃあ逃げるしかないですよね。どこまで逃げられるか分からないですが
確かにガーネットの言う通りだ。ファンテも同じ事を言っていた。
だが俺はこの期に及んでまだ逃げたくなかった。桐原の事が気掛かりで。
俺を直接殺す気がないなら、とっとと去ってくれ。俺はお前と話なんてしたくない
昔話をしてあげましょう
話をする気はないと言っている!
俺は腕を大きく振って虚勢を張る。だがガーネットは落ち着いた声音で話し出した。
昔々、ある所に不幸な少女がいました。少女は村から追い出されました。魔女として、村から拒絶されたのでした
消えろ!
俺が強く拒絶しても、ガーネットは言葉を続ける。実力行使で追い払おうとしたって、俺の力はこいつには敵わないのは一目瞭然だ。俺はファンテがいないと何もできないんだから。
俺は一瞬、ファンテを呼ぼうかと考えた。だがファンテはさっきのやりとりで、俺に対して苛立ちを感じているはず。果たして俺を助けてくれるだろうか?
俺が悩んでいる間も、ガーネットの昔話とやらは続いている。
彼女はあるヴァンパイアと契っていたのです。ゆえに、魔の者と契るような魔性の女は人間ではないと石を投げられ、罵倒され、村人たちから魔女の烙印を押され、追い出されたのでした
ヴァンパイアと契った少女? なんの話をしたいんだ。
俺は気持ちを落ち着け、ガーネットの言葉を聞く。
ガーネットは今まで、謎めいた意味のないような言動を繰り返してきた。だが今日の話は、俺は聞かなくちゃいけない気になっていた。俺の何かを突き動かすようなヒントが隠されている気がしたんだ。
ある雨の日、彼女は小さなヴァンパイアに出会いました。そしてそのヴァンパイアに襲われ、命を失う寸前まで血を吸われたのです。彼女はなんとか一命を取り留めました、小さなヴァンパイアは、血を吸えない出来損ないのヴァンパイアだったからです
ふいに俺の心臓が大きく脈打った。
ガーネットの話すヴァンパイアとはもしかして……。
もう気付いているでしょう? 君は幼い頃、雨の中で少女を襲った。そして吸血もできないのに血を吸った。その少女の事、覚えているでしょう?
ガーネットは袖のボタンを外し、そっと手首を俺の前に翳した。そこには銀色の花をあしらったブレスレットがあった。俺が吸血してしまったあの少女がしていたものと同じブレスレットだった。
頭を殴られたような衝撃が俺を襲った。ガーネットがあの少女だったのか? あの少女は魔女で、ガーネットである言うのか?
しかしガーネットは、自分はヴァンパイアだと言っていた。魔女ではないはず。
いや、魔女というのは俗称で、人間でないものを魔女だと蔑む者がいる。ガーネットはヴァンパイアであり、魔女と蔑まれた元人間だというのだろうか。
そのブレスレットは……
おや? 拾ったのだったか? 貰ったのだったか? 忘れてしまいました
ふざけるな!
ガーネットはケラケラと笑いながらブレスレットを撫でている。
続きですよ。少女はヴァンパイアと契り、魔女となった。ほら、ヴァンパイアは吸血した相手を同族化すると言われているでしょう? 少女のその一例なんですよ
ならあの日出会った彼女は、すでにヴァンパイアだったというのか? じゃあ俺は同族の血を吸ってしまったと?
頭が混乱してきた。ガーネットがあの少女だとしたら、奴が俺にちょっかいをかけてくる意味が分からない。
だって彼女は雨の中、俺にぬくもりをくれた。優しく抱きしめてくれた。その恩を仇で返すような吸血行為はしてしまったが、命に別状はなかったんだろ? ならなぜ、俺を追い回すような真似を?
ガーネット! 知っている事を全て話せ。俺には知る権利がある
どうしましょうかねぇ?
ブレスレットを撫でながら、ガーネットは含み笑いを浮かべる。
やつはたっぷりと余韻をもたせ、わざとゆっくり口を開いた。
では幾つか
もったいぶってくれる。俺は今にも奴に飛びかからん勢いで奴の言葉に耳を傾けた。早く話せ。俺は事実を知りたい。
私は君に殺されかけた。このブレスレットが証拠です
やはり奴はあの少女だったのか! 彼女の顔は詳細には思い出せない。だから俺は気付けなかったんだ。
俺は必死に記憶の糸を手繰ったが、やはりあの時の少女の顔は思い出せなかった。思い出すのは、白い首筋と、花のブレスレットだけだ。
それから……君はエルリグにはもう会えない
突然爺さんの名前があがり、俺は素っ頓狂な声をあげてしまった。
じ、爺さんと会えないだって?
だってそうだろう。今はあの時の少女の話をしていたはずなんだから。
ガーネットはふふと笑い、胸のボタンを外して大きく開いた。
鎖骨の下辺りに、赤い宝石が埋まっていた。その中に逆さに磔にされたような人影が見える。よく見ると、それは爺さんだった。
爺さん!
おっと、お触り厳禁ですよ。エルリグはもう間もなく、私に同化してしまう。だから君はもうエルリグに会えない。こんな姿ですが、今生の別れを惜しみますか?
茶化すように言ったガーネットは胸のボタンを留めて、俺の視界から爺さんの姿を消した。
奴の行動で、道理で合点がいった。
この町中に散らばった爺さんの〝におい〟は、ガーネットが振り撒いていたんだ。だから俺もファンテも、爺さんの気配は感じても居場所を特定できなかったんだ。ガーネットの手のひらの上で踊らされていたんだ。
真実を知らされ、俺は苛立ちと悔しさから唇を噛み締める。しかし俺とファンテの目的である爺さんは、手を伸ばした場所にいるんだ。懐かしさも同時に込み上げてきた。
爺さんを取り込むだなんて、莫迦な真似はやめろ
どこが莫迦なのかな? 私はエルリグを取り込んで強くなる。ついでに復讐にもなる。いい事ずくめだと思うんだけれど
復讐?
おうむ返しに問いかけると、ガーネットは恍惚とも言える笑みを浮かべた。熱に浮かされた顔。他者を虐げる者がするような、嫌な顔だ。
私を魔女にしたのはエルリグなんだ。エルリグとの間に子をもうけた。そして私は魔女として村を追われた。復讐するのは当然じゃないかな?
なん……だと?
ヴァンパイアと契ったとは言っていたが、それが爺さんとだなんて。だからガーネットは爺さんに復讐すると言ったのか。
そう考えれば、ガーネットも可哀想な奴だ。復讐なんてものに駆られたって、良いことなんて一つもないのに。
復讐して何になる? 爺さんは確かにお前を魔女にしてしまったかもしれないが、復讐したって何も変わらないんだぞ
変わらない事はない。私は満足する。それで充分ですよ
ガーネットの奴、狂ってやがる! 俺が何を言おうと、ガーネットの決意は変わらない様子だ。
ガーネット、頼む。爺さんを返してくれ
駄目だよ。私は途中でやめたりしない。エルリグへの復讐も、君への復讐も
俺への復讐?
何が何だか分からない。俺がガーネットに何をしたと言うんだ?
あの吸血の事を言っているのか? 同族を吸血したって死にはしないんだ。恨むほどの事でもないと思うんだが。
お話はここまで。じゃあね、甘ったれヴァンパイア君
待て! もっと話を……!
ガーネットは低く笑って大空へと舞い上がった。そしてつむじ風を残して消えた。
ガーネットが自分を魔女にした爺さんを恨むのは理解できる。合意の上か陵辱されたのかは分からないが、爺さんと契って魔女にされて村を置い出されたのだから。
だが俺は奴に何もした記憶が無い。せいぜい吸血した程度だ。あの時は殺してしまったと思ったが、実際奴は死んでいなかった。命を取り留めた。おそらく同族だったから。
俺は爺さんの唯一の血族者で、それだからこそ、俺をも恨んでいるのだろうか?
吸血したのは事実だが、奴はその時すでに魔女だったんだ。ヴァンパイアとして血の洗礼を受けていたはずだ。血を吸われたからと、簡単に死ぬはずはない。
どうにもガーネットの狙いが理解できない。これをファンテにも話すべきか。いや、話さないと、俺一人ではどうにもならない。
俺は急いで家の中に戻り、ファンテを捕まえて事情を全て話した。