翌日も朝からあいにくの天気だった。傘に付いた雫を振り払いながら、俺は昇降口で靴を履き替えていた。すると雨に濡れた桐原がやってくる。

エンリケ

おはよう、桐原。あいにくの天気だな

美晴

え?

 桐原は濡れた髪を気にしながら、俺を不思議そうに見つめている。

エンリケ

今日は髪を一つに縛ってるんだな。いつも二つなのに

美晴

アタシいつもこれだけど……あ、そうか

 桐原が突然ニィッと笑った。

美晴

あんたが誰か知らないけど、あんたアタシを美雨と勘違いしてるでしょ? あたしは桐原は桐原でも、桐原美晴(みはる)。美雨の双子の妹よ

エンリケ

双子?

 初めて聞いた。いや、桐原とそんなに深く話した事もないんだけど。
 しかし桐原とこいつは本当によく似てる。双子だから当然か。

美雨

……あ

 俺の背後で小さな驚嘆の声が聞こえた。振り返ると、桐原美雨がいる。正面に美晴、背後に美雨だ。
 同じ顔に挟まれて、俺はちょっと奇妙な感覚に見舞われた。まるで鏡の世界に迷い込んだ気にさえなる。

エンリケ

おはよう、桐原

美雨

……お、おはよ、う……

 桐原は俯いて黙りこむ。すると美晴がパンと手を叩いて自分の方へと注意を向けた。

美晴

あんたねぇ、〝桐原〟っていうとアタシの事でもあるんだってば。アタシの事は美晴でいいよ、美晴で。で、あんたの名前は? 外国人?

エンリケ

……俺はエンリケ・ダミルア

美晴

ふうん。じゃあエンリケって呼ぶね

 美晴は桐原と違い、明るく快活で、自分に自信が満ち満ちているタイプらしい。美晴という名前の通りの印象だ。しかも少々厚かましさが顔を覗かせている。
 美晴はいつまでも立ち尽くしている桐原に舌打ちし、すっと昇降口の奥を指差した。

美晴

いつまでも陰気なまんま突っ立ってないでよ。さっさと保健室行けば?

美雨

ご、ごめんなさい

 桐原は慌てて上履きに履き替える。

エンリケ

おい、姉妹なのにその態度は何だ

 あまりに桐原に強く当たる美晴に対し、俺は少し苛立って声を荒らげた。この姉妹は朝に喧嘩でもしてきたんだろうか?

美晴

アタシ美雨が嫌いなのよ。あんた美雨の味方? じゃあアタシの敵かもね! ああ、もう鬱陶しい! アタシ行くから!

 美晴はさっさと踵を返し、立ち去ってしまった。後には俺と桐原が残される。俺は美晴の態度に立腹し、腰に手を当てた。

エンリケ

なんだあいつ。桐原と全く正反対なんだな。図々しいというか怖いもの知らずというか

 おとなしい桐原と、自尊心の強い美晴。本当に似ているのは顔だけだ。

美雨

あの……

 桐原が俺に恐る恐る声を掛けてくる。

美雨

……美晴は悪くないの。わたしがドン臭いから……美晴は悪くないの。美晴を嫌がらないで。ね?

エンリケ

そこまで庇ってやらなきゃならないような、弱い奴だとは思わないけどな

美雨

美晴は悪くないの……

 それだけ囁くような声音で言い、桐原は俯いて黙りこむ。俺の根負けだ。

エンリケ

分かった。あいつはそういう奴だと認識しとく。俺だって喧嘩したいと思ってる訳じゃないから

美雨

ありがとう……じゃあ

 桐原はペコリと頭を下げ、保健室へと足早に駆けていった。
 美雨と美晴か。本当に見た目だけはそっくりな姉妹だな。

 英語の授業が終わり、俺は教科書と辞書を机の中にしまい込む。すると教室のドアが大きく開かれた。そこには桐原……いや、美晴がいた。

美晴

あ、ちょっとエンリケ! 英語の辞書持ってる?

エンリケ

なんだ、唐突に

美晴

辞書忘れちゃったんだ。美雨に借りるのも癪だから、あんたに借りようと思って

 あまりにも身勝手な言い分を平然と口にし、美晴は無遠慮に教室に入ってきて俺の机の中に手を突っ込む。そして英語の辞書を引っ張りだした。

エンリケ

おい、貸すとは言ってないぞ

美晴

貸さないとも言ってないよね?

 ぐ……。
 あっさりと言い負かされ、俺は黙り込む。すると美晴はにっこり笑って手を振った。

美晴

じゃ、次の時間借りとくね! 心配しなくてもちゃんと返しにくるってば! 借りパクなんてしないよ。じゃ!

 美晴は嵐のように場を引っ掻き回して立ち去った。本当に突然、嵐がやってきて、場を荒らすだけ荒らしてとっとと去ったとしか言えない。
 本当に美晴は騒がしい奴だ。俺は呆れて何も言えなかった。そしてクラスメイトの誰もが美晴の事を知っているのか、今の嵐のようなやりとりには無関心だった。


 だが、それだけじゃなかった。
 美晴はこの一件以来、事ある毎に俺のクラスに来ては、やれ教科書を貸せだの、ノートを見せろだの、俺に絡んでくるようになった。俺は体(てい)の良い便利くん扱いだ。
 しかし俺はそんな美晴に対し、相当うるさく騒がしいと思いつつも、嫌悪感は抱かなかった。桐原の双子の妹だという理由もあるかもしれないが、彼女の明るさが伝染ったように、俺もいつの間にか笑顔を持続させる事ができるようになっていたんだ。桐原と似た、故郷でずっとあったような内向さは身を潜め、俺本来の明るさが出てきたといえるかもしれない。
 それから、桐原が美晴の半分でも明るさを持っていたら良かったのにな、と、独断だが同情的になっていた。俺は自分が思っていた以上に、桐原や美晴を好意的に見ていたらしい。
 桐原は優しい女の子として。美晴は何でも言い合えるいい友人として。


 そして今日も美晴は、嵐のごとく俺の元へとやってきた。ファンテと屋上で昼休憩をしていた時だ。どうやって美晴は俺を探知して確実にやってくるんだろう? 特別なアンテナでも付いているのか?
 俺もファンテも、必要以上に食事を必要としないため、昼休憩の時は何も食べずにこうして二人で時間を潰している。俺はあってもサラダしか食えないし、ファンテだってなんでも食べるとは言いつつも、基本は使い魔なので食べなくても平気だからだ。
 そんな俺たちのところへやってきた美晴は、弁当を片手にどっかと俺の隣に腰を下ろした。そしてキョロキョロと周囲を見回している。

美晴

あれ? そういえば屋上って普段鍵が掛かってるはずなのに、二人はどうやって鍵外したの?

 う……鍵を魔法で勝手に解錠したとは言えないな。ファンテと二人になれる場所がここくらいしかなかったから、屋上を選んだ訳なんだが。
 どう言い訳しようかと迷っていると、美晴はずいと俺の顔を覗きこんできた。

美晴

ま、いいか。エンリケはもうお昼食べちゃったんだ? 早いなぁ

ファンテミオン

……この子、誰?

 ファンテが訝しげに美晴を見ている。当然だ。ファンテにとって美晴は初対面なんだから。

ファンテミオン

ん? こないだの神社の子?

エンリケ

その双子の妹で美晴っていうんだ

 簡潔に説明すると、ファンテはふうんと素っ気なく鼻を鳴らしただけだった。ファンテは必要以上に人間に干渉する事を良しとしないからな。きっとクラスでもツンケンしてるんだろう。それでもきっと周囲とは上手くやっていく。それがファンテという奴だ。

美晴

こんちは。エンリケの彼女?

ファンテミオン

 ファンテは短く答えた。ああ、どうやらファンテは美晴のようなタイプが苦手らしい。ある意味どっちも似た者同士だからな。快活で、無鉄砲で。

美晴

アタシもここでお昼食べていいよね

ファンテミオン

ダメよ。どこかに行って

 ファンテはすっと、屋上の出入口を指差す。

美晴

つれないこと言わないでよ、お姉さん。さーて、今日のお弁当などんなかな

 美晴は全くめげずに弁当の包みを開いた。小さな弁当箱には、色とりどりのおかずがぎゅっと詰まっている。これを作った美晴の母親はキチンとした性格なんだろう。

美晴

エンリケにも分けてあげよっか?

 美晴は厭味ったらしく俺の前に弁当をチラつかせるが、俺には全く欲しいという感情はない。だってどうせ俺が食えるのは、ちくわの中に詰められたキュウリくらいなものだから。

エンリケ

いらない

 俺は素っ気なく答え、ミネラルウォーターのペットボトルを傾けた。ヴァンパイアだって普通の水は飲むんだ。聖水はダメだが。
 美晴はふんふんと鼻歌を歌いながら、美味そうに弁当を食べている。

エンリケ

母親が作ったのか?

美晴

そうだよ。ウチのお母さん、料理上手なんだ

 美晴は大口を開けて唐揚げを頬張った。ああ……肉に油。俺は絶対に食えない。

エンリケ

桐原も同じ弁当を食ってるのか?

 そう問いかけると、美晴の箸が止まった。そしてムッと眉を顰めて俺を睨む。

美晴

美雨の話はしないで。アタシ、あの子嫌いだって言ったよね?

 美晴の機嫌が悪くなり、手にした箸先は乱暴に玉子焼きを突き刺す。そして美晴はそれを口の中に押し込んだ。
 桐原の話は徹底的にしたくないらしい。

エンリケ

美晴。姉妹をそう悪く言うなよ。同じ血を分けた姉なんだろ。しかも双子の

美晴

あんたたちは仲良しかもしれないけど、ウチにはウチの事情もあるの。気分悪くなったからアタシ、行くわ

 美晴は食べかけの弁当に蓋をして、包みをギュッと縛る。そしてさっさと屋上から消えた。本当にあいつはいつでも嵐のようだ。
 そんな傍若無人な美晴を、ファンテが黙っているはずがない。

ファンテミオン

なんなのあの子! 神社で会った子はもっとおとなしかったじゃない? 足して二で割ればちょうどいいかもしれないのに、片方に嫌な性格だけ集まってんじゃないの?

 ファンテはバンバンと膝を叩きながら怒り狂っている。こうなると思ったんだ。

エンリケ

落ち着けファンテ。あいつは見た目ほど嫌な奴じゃないから。ちょっと面倒くさくて傍若無人過ぎるだけだ。それはお前もだろ

ファンテミオン

くうう! 似た者嫌悪だって言いたいのね! エンリケ、もう肉の皿交換してやんない!

エンリケ

大丈夫だ。お前なら今夜にはケロッと忘れてるから

ファンテミオン

エンリケもムカつくわね!

 ファンテは頬を膨らませてぷいと横を向いた。ははは、こいつの明るさにはいつも助けられてる。いつも他の事では言い包められているし、たまにはこういうやりとりも楽しくていいよな。

ファンテミオン

それで今夜の主様の捜索はどうするの?

エンリケ

もちろん行くさ。ファンテだって早く爺さんに会いたいだろ?

ファンテミオン

よし、じゃ、さっきの事は許してあげる。早く主様にお会いしたいから、頑張ってにおい嗅ぎとってよ

 どうやら爺さんの話題だけで、ファンテの機嫌は治ったらしい。単純な奴だ。

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