◆ 二つの同じ顔
◆ 二つの同じ顔
ほぼ毎日授業に組み込まれる体育。雨の日はともかく、毎日陽の光の下で運動させられ、俺はそのたびに倒れて保健室へ担ぎ込まれるという事を繰り返していた。もうすっかり保健室の住人であり、クラスでは虚弱体質のダミルアとして名前が通ってしまった。
保険医である牧野とも打ち解け、窓から遠い方のベッドは俺専用とまで言われてしまった。
そしてもう一人、保健室には牧野以外の奴がいる。
それが桐原美雨だ。
桐原は俺と同じクラスなんだが、心の病で他人と打ち解ける事ができず、ずっと保健室へ登校しているというんだ。学校へ来れるだけマシだと牧野は笑うが、こんなところで一人きりで勉強をしていて、退屈じゃないんだろうか? 俺は教室で勉強していても退屈だと感じるのに。
いや、それは俺が学校で習う事はすでに知っている事が多いからか。伊達に人間より長く生きていない。学校で習う勉強は、俺にとって幼稚な復習ばかりだ。たまに知らない事も教えられるが、それが面白い以外は、基本退屈な授業だった。すっかり学校というものに慣れてしまって、人間のふりも上手くやっていけているから、余計にそう感じるのかもしれない。
一度桐原を、一緒に教室に帰ろうと誘った事があるが、困ったようにだんまりを決められ、結局連れて行く事に失敗した。
ダミルア君が保健室に来るようになってから、桐原さんも随分明るくなったのよ。ねぇ?
牧野が保健室の隅に置いてある桐原の座る椅子の方を見ると、桐原は困ったように口元に手を添えて顔を背けた。違うと言いたいのだろうか?
ダミルア君。これからも桐原さんと仲良くしてあげてね
そうは言うけど、桐原は喋らないし……
初めて保健室で桐原と会った時以来、俺は彼女の声を聞いていない。桐原は極端に人見知りし、無口だった。
じゃあ俺、教室に戻ります
ええ。明日もお布団用意してるわ
くっそぅ。明日こそ体育の授業を最後まで受けてやる
無謀な野望を口にし、俺と牧野は苦笑しあった。
保健室を出る間際、なんとなく俺は桐原の方を見た。そして声を掛けてみる。
桐原。一時間だけでも授業に出てみないか? 俺の席、あんたの近くなんだ
すると桐原は小さく首を振り、唇を開いた。
わたし……みんなに疎ましがられるから
それだけ呟き、俯いてしまった。
みんなに疎ましがられる、か。
故郷で俺はまさにそれだった。吸血もできない、魔法も未熟、そんな出来損ないが、故郷の代表であった爺さんの血縁者だなんて、って。いや、血縁者かどうかも分からない。気付いた時、俺は爺さんに連れられて故郷の村にいたんだ。ここで自分と暮らしなさいと言われて。
だから俺は俺で必死にみんなに馴染もうと奮闘したんだが、故郷の奴らは俺を出来損ないと、爪弾いた。そしていつしか、俺は爺さんとファンテの影に隠れて過ごす内向的な性格になってしまった。
故郷の同族を恨んではいない。だけど帰りたいとも思わない。だから爺さんが行方を眩ませて、これ幸いと、ファンテと共に爺さん捜しの旅のために故郷を飛び出してきたんだ。
早く爺さんに会いたいが、爺さんに会えばまた故郷に戻る事になるだろう。そしてまた俯いて暮らす日に戻るかもしれない。
俺はそれでも爺さんを捜すべきなんだろうか? ファンテと共に、このまま二人で人間に紛れて暮らしている方が幸せなんじゃないかと、ふと思う時もある。
ファンテは俺の相棒ではあるが、使い魔として召喚したのは爺さんだ。だから爺さんがいなくなればファンテもいなくなる。ファンテは俺を庇護しながら、爺さんの命令に従うように作られた存在だ。だから彼女は俺以上に爺さんを真剣に捜しているだろう。だから『故郷に帰りたくない』とは、決してファンテには言えなかった。言えるはずもなかった。
黙りこんで俯く桐原を見つめて、俺は少々感傷的になってしまったらしい。『ごめん』と言って、保健室を出た。
早く教室に戻ろう。
老夫婦との暮らしは基本的には自由にさせて貰っているので、それほど不便という訳ではなかった。ただ、成長期なんだからと、いつも大量に用意されている料理を、どう理由を付けて断ろうかと毎回苦心するくらいだった。
今日もエン君はご飯を残して! おばあちゃん悲しいよ
エンや。ばあさんの飯はそんなに不味いか? たしかに若者向けの献立はあまり得意じゃないが、煮しめや魚だってそう悪くはないだろう?
じいさん、ばあさん、ごめん。俺、胃が小さくてさ
あたしがエンリケの分まで食べるから、許してあげてくれない? おじーちゃん、おばーちゃん?
フミちゃんは本当に気持ちいいくらいよく食べるね。嬉しいわ
よく食べるファンテの株は、老夫婦の中でどんどん上昇中か。
俺は肉や魚を食べると後で戻してしまう。体が受け付けないんだ。だから無理やり食わされた分は、こっそりトイレで吐き戻している。苦しいが、こうやってごまかしていくしかないだろう。
タイミングを見計らいつつ、俺の手付けずの皿と、ファンテの全て平らげた皿を素早く交換するといった事もしているが、毎回成功する訳じゃないしな。見つかるとばあさんもじいさんも渋い顔をする。それが申し訳ない。
本当におなか空かないかい?
ああ。本当に大丈夫だから
ばあさんに心から申し訳ないと詫びつつ、俺は席を立った。ファンテも続く。
じゃあ明日は野菜中心の献立を考えてみるかね
優しいばあさんを困らせて恐縮ではあるが、こればかりはどうしようもない。俺はファンテと共に早々にキッチンを出た。
キッチンを出た俺たちは、そっと玄関から外に出る。そして二人で散歩を装って、夜の町へと繰り出した。
俺たちの爺さんをこうやって、毎夜捜して歩いているんだ。そしてある程度人通りの無い場所に来たら、ファンテを大鳥に变化させて空へと飛び、爺さんの〝におい〟を辿る。
エンリケ、どう?
においはするんだけど、どうしても詳細な居場所が分からない。何だかにおいがわざと拡散されてるように、出処が一致しないんだ
主様(あるじさま)は本当にどこにいるんだろうね
ファンテと共に爺さん捜しを小一時間続け、俺たちは人気の無い神社に降りる。最初にこの町に来た時に降り立った場所だ。ここは夜になると、本当に誰もいなくなるから、ファンテを变化させるのに都合がいい。
ファンテは元の人間の姿に戻り、癖のある髪を背中に払った。
さて。今日はもう終わりにする?
そうだな。明日も学校があるし
一応探知の魔法は俺も使えるが、使うと翌日は疲労で倒れてしまう。だから学校がある日は使えない。
今日の探索はこれまでにして、俺はファンテと共に石段をトントンと降りる。そこで思いがけない人物と出会った。
桐原美雨だ。
彼女は自転車を押しながら、驚いた様子でこっちを見ていた。
桐原? こんな夜中に一人じゃ危ないだろ。何してたんだよ?
おとなしい桐原が夜遊びというのも考えにくい。俺は素直に疑問を口にした。桐原は戸惑ってから俺と自転車を見比べ、か細い声を出す。
自転車……取りに行ってたの。駅に忘れてきたって言うから
そうか。早く帰れよ
ええ。心配してくれてありがとう
駅まで自転車で行き、そのまま別の手段で帰ってきてしまったんだろう。だからこんな夜中に自転車を引き取りに行っていたようだ。桐原もうっかりする事があるんだな。
……あれ? 『忘れてきたって言うから』と言ったか? じゃあ桐原じゃなくて誰か別の身内に引き取りに行くよう頼まれたのだろうか?
女の子を夜中に出歩かせるなんて酷い扱いだな。
わたし、帰るから。また明日ね
桐原はペコリと頭を下げ、自転車に乗って俺たちの前から姿を消した。
今の誰?
ファンテが当然のように聞いてくる。
クラスメイト。でもずっと保健室にいる。心の病気なんだってさ
ファンテが腕を組んで頬を膨らませる。
陰気な女だね。知り合いに会って、笑顔一つ見せないなんて。不審者だとでも思われてたんじゃないの?
違うよ。笑わないのは心の病気のせいであって、でもそれが桐原だから、俺は何とも思ってない
あんたがそう言うならいいけどね。じゃあ、おじーちゃんたちが心配するといけないから早く帰ろう。ついでに一雨きそうだし
俺はファンテに促され、急いで棲家に戻った。それと同時に、ファンテが予測した通り、雨が振ってきた。
雨……雨は……嫌いだ。昔から。