朝食のサラダを、俺は残さず平らげた。隣でファンテもライスとベーコンエッグを残さず平らげている。

ファンテミオン

ごちそうさま!

エンリケ

ごちそうさま……

 俺とファンテは同時に食事終了の言葉を口にした。すると俺たちの前で、老夫婦の片割れであるばあさんがにっこり笑って俺の額を小突く。

ばあさん

エン君。ご飯が残ってるよ。目玉焼きも

エンリケ

あ……俺、朝はそんなに食わないから……サラダだけの方が……

ばあさん

フミちゃんは全部食べたのに? エン君は小食だね。男の子なのに体がもたないよ

エンリケ

残してごめん……

 ばあさんに謝ると、彼女は俺の前の皿を持ち上げた。

ばあさん

じゃあ明日からは、朝はサラダだけでいいかねぇ?

エンリケ

ああ。そうだと助かる

ばあさん

そうかい? じゃあサラダをたっぷり用意するとしようかね

 ばあさんは俺の食器を下げた。

 俺とファンテは、ファンテの探してきた棲家に潜り込んだ。ファンテの使うチャームの魔法で、今、目の前にいる老夫婦の孫として暗示をかけているんだ。
 海外で暮らす息子夫婦が事故で亡くなり、俺とファンテはじいさんとばあさんに引き取られた、という設定になっているらしい。
 だからばあさんは俺をエン君、ファンテをフミちゃんと呼ぶ。彼女の正式名称であるファンテミオンとは、二人には呼びにくい名前らしい。
 老夫婦は非常に温厚で、子供のいない夫婦だった。だから息子夫婦が死んで、という暗示が上手くかかったんだ。本当の息子や娘がいたとしたら、本来の記憶が邪魔をして、チャームの魔法はあまり上手くかからなかっただろう。それに万が一、本当の子供が老夫婦に連絡を取ってきた時に、魔法の反作用で老夫婦がショック死という事態も想定される。いくら俺たちに関係ない赤の他人とはいえ、それだけは避けたい。
 こう考えると、ファンテも上手い棲家を見つけてきたものだ。
 ただ、俺とファンテを育ち盛りだからと、飯をたっぷり用意してくれるのは勘弁してほしい。俺は本当にサラダ以外食えないし、ファンテの平らげた皿と、俺の手付けずの皿を、老夫婦の目を盗んでこっそり交換するのも大変なんだ。ファンテは使い魔で雑食だから、なんでも食えるから。
 それ以外なら、実に快適な棲家と言える。

 そして今日から、周囲の目をごまかすために、高校というところへ通うんだ。これは俺が陽の光を平気だからこそできる芸当と言える。
 故郷のヴァンパイアたちは、昼間は暗い棺桶にこもって寝てるからな。
 ファンテは俺の姉貴という設定なのか、俺より一年先輩の二年生、俺は一年生をする事になっている。
 俺もファンテも人間より長生きで、それなりに人生経験もあるので、学校の勉強はどうにかなるだろう。日本の言葉も文字も聞き取れるし読み書きもできる。ただ。常識が人間と少々ズレているのが不安材料だ。うまくやれればいいんだが。
 ファンテはその辺りは問題ないだろう。なんでも器用にこなす奴だから。

 二人並んで学校へと向かい、職員室というところでそれぞれの担任教師と挨拶を交わす。 俺は村瀬という女性教師、ファンテは相沢という男性教師が担任だった。
 そして俺達はそれぞれ、彼らに連れられて、勉強の場である教室へと向かった。

今日から一緒に学習する事になった、エンリケ・ダミルア君です。いろいろ教えてあげてください

 俺の担任教師である村瀬がクラスの人間たちに向かって挨拶をする。そこで俺は奇妙な違和感を抱いていた。
 こいつら、同じ服を着て同じような態度をしている。なんでみんな同じ行動をしているんだ? 今朝、ばあさんから俺も同じ服を着せられていたし。
 大量生産される同じ型のクッキーやおもちゃのロボットを思い出し、俺は眉をしかめる。

どうしました、ダミルア君?

エンリケ

あの……どうして同じ服を着て固まって勉強をしてるんだ……ですか?

え? 制服を着るのは学生だからであって……それをなぜと言われたら、学校のシステム自体が破綻してしまって……ええと……

 村瀬は困ったように口ごもる。すると教室中がワッと湧いた。

転校生おっもしれー!

外国じゃ私服登校が普通だものね。そういう感覚、当然じゃない?

日本の学校は制服を着なくちゃいけないのよ

 クラス中の人間たちが口々に喋る。聞き取りはできるが、全部に返事ができない。俺は面食らって黙りこんでしまった。そしてとりあえず、学校にはこの同じ服を着てこなければいけないのだという、理屈抜きにした決まり事を、身をもって知った。
 あんまり目立ちたくなかったのに。

制服の事は納得してもらわないと困るんだけど……

エンリケ

あ、ああ。それは、もういいです。分かりました

 村瀬は俺の言葉を聞いてホッとしたような表情になった。

ではこの列の後ろから二つ目に席を用意しています。今日からそこがあなたの席よ

 座る場所まで決められているのか。学校というのは予想していた以上に堅苦しい。自由奔放なファンテは上手くやれてるだろうか? 問題だけは起こしてくれるなよ。

 俺が席に座ると、さっそく周囲から注目の的となった。同時に小声の質問大会となる。

ダミルア君てどこの国から来たの?

エンリケ

え……えっと……ドイツ……

日本語すごい上手いな!

エンリケ

べ、勉強してきたから

彼女とかいる? まだいないよねー!

エンリケ

は、はぁ……

 といった具合に、つまらない質問に俺は追われて、必死に偽りの自分を演じる。いっそまとめてチャームの魔法を掛けて黙らせてやろうかと思ったくらいだ。
 その時、俺はふと窓際に空席がある事に気付いた。同じ座るなら、外の景色が見える窓際の方が良かったかもしれない。いや、太陽の光がある程度平気とはいえ、窓際はマズいか。

エンリケ

なぁ。あの席は?

えっ? あ、ああ……桐原さんの……

あの席は……ちょっと……なぁ?

訳ありなんだよ

 俺が疑問を口にすると、さっきまで好奇心で満ち満ちていたクラスメイトたちが、一斉におとなしくなる。どうやら誰か別の奴の席らしい。今日は休みなのかもしれない。

それじゃあ授業をはじめます。教科書六十ページを開いて

 村瀬が黒板をコンコンと叩いて合図すると、周囲の奴らは一斉に本を開いた。またもや俺が面食らっていると、隣の席の女が俺の鞄を指差した。

国語の教科書。持ってきてない?

エンリケ

こ、国語? ……これかな

 女が見せてくれた表紙と同じ本を取り出し、俺は六十というページを開いた。それを待っていたかのように、村瀬が声に出して本を読み始める。俺は周囲をキョロキョロとしながら、クラスメイトたちの行動を真似ていった。


 次の授業は体育というものらしい。またもやクラスメイトと同じに着替え、グラウンドで運動をするものだと、隣の席の男が言っていた。そいつと隣のクラスに移動し、服を着替える。体育は隣のクラスと合同でするものらしい。
 女たちは元のクラスで隣のクラスの女子とまとまって着替えるようだ。道理で急かされる訳だ。そして着替え終わると、学校のグラウンドへと向かった。
 そこでサッカーとかいうものをするらしい。ルールもなにも分からないが、まわりの奴らの真似をしていれば問題ないだろう。さっきまでの授業も、それで乗り切れた。俺は少々気だるげに、だが未知のものへの期待を胸に抱いてた。ずば抜けて面白い訳ではないが、この学校というシステム、なかなか興味深いものだった。まず第一に知らない事を学べるという点が面白かったし、慣れてしまえば人間のふりも苦痛じゃなかった。
 俺だってそれなりに好奇心はある。人間への興味だって、その一つだった。


 体育の授業が始まり、軽い準備体操をしながら、俺は脳天からさんさんと照らされる太陽の光に気分を害していた。故郷の仲間たちと違って多少陽の光が平気だとはいえ、こうも露骨に光に照らされると参ってしまう。やはり俺も根本となる部分は闇に住まう者という事なんだろう。消滅はしないが、そろそろ体がおかしくなってしまいそうだ。
 ああ、これ以上はマズい、と思っていると、俺の意識は唐突にブラックアウトした──


 そして目覚めると、知らない部屋でベッドへ寝かされていた。
 消毒薬の嫌な臭いと、清潔な石鹸の香りが入り交じる白い部屋。なんだろうと起き上がると、カーテンが開いて一人の女がこっちを見て目を丸くしていた。
 黒い髪は肩のところで二つに結われ、色白な肌と真っ黒な目が印象的だった。女のクラスメイトと同じ服を着ている。

エンリケ

ここは?

美雨

……保健室。あなた、倒れたから

 消え入りそうな声で、そいつは言った。

エンリケ

保健室?

美雨

簡単な治療や生徒を休ませたりするところ

 簡潔な説明だが、用途は分かった。この教室は学校内の病院のようなものらしい。
 学校は勉強するために、いろんな部屋があると、ファンテに事前に聞いていた。ここも勉強に関する特別な部屋なんだろう。俺はこの消毒薬の臭いが嫌だが、勉強して人間のふりをするからには我慢しなきゃならない。いつこの部屋での授業があるのか、今からある程度覚悟を決めておかなくちゃならないな。
 俺は黙り込んだままこっちを見ている女を、小首を傾げて見つめる。

エンリケ

あんたは?

美雨

……桐原……美雨(みさめ)です

 桐原? どこかで聞いた名前だが、どこだったか……。
 ああ、そういえば、今朝クラスで聞いた名前だ。窓際の空席の主がそういう名前だったと思う。

エンリケ

俺は今からどこに行けばいい?

美雨

もう起きて大丈夫なら、教室に……

 教室に戻ればいいのか。じゃあとっとと戻ろう。消毒液の臭いは嫌いだ。

エンリケ

あんたは? 戻らないのか?

美雨

わたし……は……

 それきり女、桐原は黙りこむ。そして僅かに顔を背けた。

エンリケ

じゃあ、行くから

 俺は振り返りもせずに保健室を出た。早く消毒液の臭いから解放されたかったんだ。喋りたがらない女と、いつまでももどかしい会話を続ける気はなかった。
 しかし陰気な女だった。声も小さいし、生気が無いというか。だが妙に気にかかる。後でクラスの誰かに聞いてみよう。

町の灯りに紛れて(後)

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